概要
誕生から政府掌握
1911年~1912年に辛亥革命に参加すると孫文と出会い、彼に認められて中国国民党右派代表に任命される。1926年に北伐を開始。
1927年には宋美齢と結婚。後にクーデターを起こして中国共産党を追いやると党と政府の権力を握ったが、1936年の西安事件で張学良らによって軟禁される。
日本との戦争と第二次世界大戦
1937年に盧溝橋事件が起こり、日本との日中戦争(日華事変または抗日戦争)が始まる。
1941年に中華民国は日本と対抗するべく、第二次世界大戦に対枢軸国戦争をしていた米英率いる連合国側として参戦。
1943年のカイロ会談に参加し、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトとイギリス首相・ウィンストン・チャーチルと共に写真撮影も行った。
戦後
1945年に日本が無条件降伏して第二次世界大戦と日中戦争に勝利し、毛沢東率いる共産党と双十協定を結ぶが翌年に国共内戦で共産党と激突。
1948年に中華民国初代総統に就いたものの、反発を受けた事によって辞任。
さらに1949年には国共内戦で共産党に敗れて台湾へと逃れ、1950年に再び総統に就任したが本土返り咲きを成す事は出来なかった。
1972年に肺炎にかかり一命は取り留める事は出来たが表舞台から姿を消す事となり、1975年4月5日に死去。彼の息子蔣経国が後を継ぐ事となった。
人物
評価
公私共に真面目な生活や仕事振りに評価される一方、独裁的な政治手法が強く、個人崇拝を強調する面も多かったため、独裁者として批判される点も多い。
台湾においては指導者として慕う人もいるが、台湾の本省人(日本植民地時代および以前からの住民)からすれば抑圧的独裁政治をする外来の支配者として評価は低い。
日本でも評価は二分しており、蒋介石の対日感情が多面的であることから、蒋介石観も様々に分かれている。
大陸での評価はもちろん悪く、中華人民共和国の敵として見なされている。一方で再評価の動きもある。