西晋(せいしん、拼音:Xījìn)
司馬炎によって建てられた中国の統一王朝(265年 - 316年)。
国号は単に晋だが、建康に遷都した後の政権(東晋)に対して西晋と呼ばれる。
八王の乱をきっかけに弱体化し、前趙によって滅ぼされ、東晋と異民族国家が乱立する五胡十六国時代へ突入する。
魏末・西晋年表
249年 司馬懿がクーデターを起こし、曹爽勢力を一掃する。
251年 王凌が司馬懿の権力を削ごうと画策するが、失敗し自殺する。
司馬懿が死去。
254年 司馬師が反逆を画策する李豊、夏侯玄らを誅殺。
司馬師がクーデターを起こし、曹芳を退位させ、曹髦を第4代皇帝に置く。
255年 毋丘倹と文欽が寿春で反乱を起こしたが、司馬師が鎮圧する。
司馬師が死去。
257年 諸葛誕が淮南で反乱を起こし、司馬昭が諸葛誕討伐に向かう。
258年 諸葛誕が文欽と対立し文欽を殺害する。司馬昭が諸葛誕を破り、乱を平定する。
260年 曹髦が司馬昭に対し挙兵したが、賈充に向かい打たれ、賈充の部下に斬られた。
曹奐が第5代皇帝に即位したが、実質は司馬昭の傀儡である。
263年 魏が蜀に侵攻する。鄧艾が成都に到達し劉禅を降伏させる。蜀が滅亡する。
264年 鍾会が姜維と組んで反乱を起こす。衛瓘らが乱を平定し、鍾会、姜維、鄧艾を殺害する。
司馬昭が晋王となる。
265年 司馬昭が死去。司馬炎が後を継ぐ。
曹奐が禅譲し、魏が滅亡、司馬炎は晋の皇帝となる。
279年 晋が呉に侵攻する。
280年 呉の孫晧が降伏する。呉が滅亡し、晋が中国を統一する。
290年 司馬炎が死去。皇太子の司馬衷が第2代皇帝となる。
291年 司馬衷の皇后賈南風らが楊一族を粛清し、実権を握る。八王の乱が始まる。
300年 賈南風は皇太子の司馬遹を殺害した罪を問われ、死を賜る。
304年 劉淵が漢(後の前趙)を創立。
306年 司馬越が司馬穎を殺害、弟に司馬顒を殺害させ、司馬衷が死去する。
司馬熾が第3代皇帝に即位し、司馬越が実権を握る。八王の乱が終結する。
310年 劉淵が死去。子の劉和が継ぎ、後に弟の劉聡が劉和を殺害し継いだ。
311年 司馬熾が司馬越を討伐しようとしたが、その前に司馬越が病死する。
司馬越の死を受けて、石勒と劉曜らが洛陽を陥落させ、司馬熾は捕らえられる。
313年 司馬熾が処刑され、長安で司馬鄴が第4代皇帝に即位する。
316年 劉曜が長安を攻め、司馬鄴は捕らえられ、西晋は滅亡する。
317年 司馬鄴が劉聡に処刑される。
318年 司馬睿が東晋を建国。
人物
(晋書より)
皇帝
高祖宣帝(司馬懿) 司馬炎より追号
世宗景帝(司馬師) 司馬炎より追号 司馬懿の第1子
太祖文帝(司馬昭) 司馬炎より追号 司馬懿の第2子
世祖武帝(司馬炎) 初代皇帝 司馬昭の第1子
孝恵帝(司馬衷) 司馬炎の第2子
孝懐帝(司馬熾) 司馬炎の第25子
孝愍帝(司馬鄴) 司馬炎の父方の孫 荀勗の母方の孫
皇后
宣穆張皇后(張春華) 司馬懿の妻
景献羊皇后(羊徽瑜) 司馬師の3番目の妻 羊祜の同母姉
武元楊皇后(楊艶) 司馬炎の1番目の皇后
武悼楊皇后(楊芷) 司馬炎の2番目の皇后 楊駿の娘 楊艶の従妹
恵賈皇后(賈南風) 司馬衷の1番目の皇后 賈充の娘
恵羊皇后(羊献容) 司馬衷の2番目の皇后 羊徽瑜のいとこ 後に前趙皇帝「劉曜」の皇后
懐王皇太后(王媛姫) 司馬炎の側室 司馬熾の母
元夏侯太妃(夏侯光姫) 後に東晋の初代皇帝「元帝 司馬睿」の母 夏侯威(夏侯覇の弟)の孫
皇族
司馬孚 司馬懿の弟
司馬望 司馬孚の子
司馬伷 司馬懿の第4子
司馬攸 司馬昭の第3子 司馬師の猶子
司馬遹 司馬衷と謝夫人の子 賈南風は継母にあたる
司馬幹 司馬懿の第7?8?子
八王
司馬亮 司馬懿の第3子
司馬瑋 司馬炎の第5子
司馬倫 司馬懿の第9子
司馬冏 司馬攸の子
司馬乂 司馬炎の第6子
司馬穎 司馬炎の第16子
司馬顒 司馬孚の孫
司馬越 司馬懿の曾孫
臣下
王祥
裴秀
王沈
石苞
陳騫
呉征伐関連
・征呉派
羊祜 呉征伐を進言していたが、実現する前に死去 侵攻作戦は彼の物を採用している
杜預 羊祜の後任
張華
・反征呉派
王濬 最初に建業入りし、孫晧を降伏させる
王渾 王濬に手柄を取られる 八王の乱ではほぼ中立
王戎 王渾の子
胡奮 公孫淵討伐、対蜀戦、諸葛誕の乱でも活躍した軍人
八王関連
楊駿 司馬炎の外戚として実権を握る
衛瓘 鍾会の乱を平定する 楊一族を排除した後、実権を握る
その他
賈午 賈充の娘 賈南風の妹
劉淵 匈奴の主導者として西晋に仕えていた 後に漢(前趙)を興し、子の劉聡が西晋を滅ぼす