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概要編集

南千住自動車営業所が担当している都市新バス路線。

日暮里駅を起点に、下谷警察署・竜泉・千束・東武浅草駅押上を経て、錦糸町駅へ至る。鉄道でのアクセスが悪い荒川区~台東区~墨田区を一本で結ぶことから根強い利便性を持つ系統であり、押上~錦糸町間の四ツ目通り区間は半蔵門線の補完という役割を持つ。ビジネスマンや地元客の利用が多い他の都市新バス系統とは違い沿線には東京スカイツリー浅草などの観光地を抱えるため観光客の利用が多いのも本系統の大きな特徴である。

本系統は戦後に開通した23系統というバス路線が由来で、何らかの形で出身に都電が絡んでいる都市新バスでは珍しく先祖や親戚に都電を持たない珍しい系統である(都電を起源に持たない都市新バス系統は他に都05がある)当時は浅草寿町から錦糸町の路線だった。経路も現在とはやや異なり、寿町から国際通りを南下し寿三丁目から厩橋、春日通りを経由するものだったが、すぐに浅草通り経由で駒形橋を渡るルートに変更された。

その後しばらくは路線の形が定まらず上野広小路、鶯谷など起点の変更が相次いだが1949年に鶯谷から延伸して日暮里発着となり現在の起終点に落ち着いたが、当時の鶯谷~日暮里間は尾久橋通りが存在せず、狭い裏通りを回って日暮里に向かっていた。しかしこの道があまりにも狭く危険だったため2年後の1951年に現在と同様に竜泉、日暮里中央通り経由に改められた。

この時点で現在の形となり、のちに新番号付与で【里23】に改名されたこと以外は以降70年以上にわたり変更はない。並行する地下鉄もないため、他の都市新バスが運行経路や所管で大きな変更があったのに対し本系統は全く変化がない。所管も南千住の前身である新谷町車庫が路線開設時から担当し、新谷町が1971年に南千住へと移転し南千住営業所となって以降は現在に至るまで南千住が担当している。錦糸町駅の乗り場は当時北口にロータリーが無かったことから南口正面(現在の都07乗り場)から発着していたが1982年に北口にロータリーが完成したため北口に乗り場が変更となった。その後は同じく北口発の【都02】と共に再開発で乗り場が幾度となく変更となったが1997年に現在のロータリーが完成し、乗り入れを開始した。

並行する地下鉄路線もなく、路線の中間浅草で乗客も入れ替わる本路線は採算も良く、本数も多かったため交通局は1994年、本系統の都市新バス化を行うこととした。竜泉から先の国際通り、言問通り、浅草通りではバスレーンの確保ができたが日暮里中央通りは片側一車線でとてもバスレーンの整備はできず、この区間のバスレーンは見送りとなった。現在もラッシュ時などもさほど混雑しない道路で渋滞することは少ないが、信号が多いのと道が広くなく速度が出しにくいためこの区間で遅延することがしばしばある。

専用車とバスロケを導入した【里23】は1994年1月、交通局8本目にして最後の都市新バス【都08】として走り出した。愛称は沿線の隅田川をイメージして「グリーンリバー」と命名された。

これ以降も路線には目ぼしい変化がなく、2003年半蔵門線が開業して錦糸町~押上間が並走区間となったがそもそもの並走距離が短すぎるため乗客の減少は僅かだった。これ以降は車両面での変化があり交通局のノンステップバス導入の際の予算削減のため2003年に南千住へ日野レインボーHRが大量導入されて以降はHRが入る事も多くなった。そして2006年に専用車両だったZ代が老朽化のため置き換えられることになったが既に交通局は都市新バス向け専用車を作ることはしておらず、同時期の他系統と同様に一般ノンステップ車にグリーンリバーのステッカーを貼り付けて対応した。最も置き換え以前からリフト付き超低床車や中型ロングなど一般車が入る事も多々あったため、それほど目立ちはしなかった。

本系統は確かに都市新バスであるが他系統と比べると都市新バスの主張が薄く、車内放送では他系統が「本日も、グリーン○○をご利用いただきありがとうございます」と放送するのに対し本系統は一般系統と同様の「毎度、都営バスをご利用いただきありがとうございます」となっている。専用車も1998年のE代を以て終了しており、今では都市新バスとしての面影は系統番号を除き無くなりつつあるのが悲しい所である。


入出庫は日暮里~下谷警察署がメインであり、錦糸町側は東武浅草駅前行きとして運転される。この2パターンがメインであるが浅草~日暮里や本所吾妻橋~錦糸町、また終バスとは微妙に異なるが過去には同じく南千住所管の【里22】の入庫に使われることもあり【東42乙】の終バス運転を兼ねて日暮里到着後の【里22】が【都08】東武浅草駅行きとして運行し、東武浅草到着後に浅草雷門まで回送し【東42乙】として運転するといったこともあった。

この逆パターンもありこちらは【里22】に入らず【都08】運用として運用に入る。こちらは現在でも朝ラッシュ時に運行されている。


都08急行編集

2012年4月から3年間の試験運行として運行された系統である。沿線に新たな観光地として東京スカイツリーが開業し、錦糸町、日暮里双方からスカイツリーを結ぶために開設された系統である。

経路も最短経路を目指したため【都08】本線とは異なる部分も多く東武浅草駅を経由せず言問通りを直進する経路をとった。停車停留所は日暮里駅、奥浅草、とうきょうスカイツリー駅、押上、錦糸町駅とかなり絞られている。奥浅草に止めた理由は恐らく浅草近辺の需要を拾おうとしたのだろうが、立地からしてどのくらいの利用があったかは不明である。

急行便であることを強調するため方向幕は黄色地とし、車両は他所から追い出されるように転属してきて詰め込みが効かずに運用に入った先々で混雑を助長させ適所路線も見つからず、さらに経年車で転属先も見つからず南千住で完全に腫れもの扱いを受けていたH代のHRを使いつぶすのにうってつけと判断されたのか固定で運用に入っていたものの、検査や何らかの事情でHRが入れない場合は同じく幕車のエアロスターやL代以降のLED車が代走することもあった。車体側面や運賃箱に「急行」を示すステッカーを貼り付けるなど、誤乗防止対策も徹底していた。

時短効果は大いに発揮され錦糸町~押上は通常30分のところを18分で結ぶ俊足ぶりを発揮した。

スカーツリーアクセスという行楽色の強い路線だったため運行は土日のみ(ただし東京スカイツリー開業日だった2012年5月22日は平日だったが運行)であり、1日4往復の本数は1年後のダイヤ改正でも据え置きで推移していった。こまめな乗客の入れ替わりが多い本系統の特性に速達便が合わなかったことや錦糸町側の区間が当時の速達便【S-01】と被っていたことも大きかったのかもしれない。結局試験運行の延長はされずに3年の試験期間満了を迎えた2015年3月を以て廃止された。専用車だったHRはこの時点で古参車になっていたことやH代全体が置き換え時期を迎えていたこともあり転属も行われずにほどなくして廃車となった。

関連編集

東京スカイツリー···押上が最寄りバス停。

浅草寺

吉原(遊郭跡)

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