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概要

渋谷自動車営業所が管轄する路線であり、渋谷駅新橋駅の間を六本木通り、外堀通り経由で結ぶ。沿線には西麻布六本木赤坂などの歓楽街や虎ノ門に代表されるオフィス街が存在し、時間問わず混雑しており、都営バスの中でもトップクラスの利用者を誇ると同時に、名実共に都営バスを代表する路線である。

この路線も元を辿れば全身の【橋89】、さらに遡れば都電6系統に辿り着く典型的な都電代替路線である。都電代替という事もあり当時から本数は多く、また鉄道の便が悪い西麻布、六本木、赤坂から巨大ターミナルである渋谷、新橋を乗り換えなしで結ぶ事から利用者は多かった。

しかし経由する六本木通り、外堀通りはモータリゼーション化の進行で渋滞が激しく、定時運行など不可能な状態であり、いつ来るかわからず、来ても渋滞で全く進まない本系統への信頼は落ちつつあった。

この問題は【橋89】のみならず、当時の都営バス全体の問題でもあった。遅い、来ない、進まないと負の要素を詰め込んだ当時の都営バスへの信頼は全体的に落ちており、乗客からは到底受け入れられるものではなかった。奇しくも当時は帝都高速度交通営団(現東京メトロ)が路線の延伸、新規開業を積極的に行っていた時期でもあり、都内の鉄道網が発達しつつあった。都内の移動の主力は遅くて時間の読めないバスから速達性と定時性を兼ね備えた地下鉄に取って代わられており、それに伴う乗客流出や路線廃止が後を立たなかった。交通局にとって定時性の改善は喫緊の課題となっていた。

【橋89】は並行する地下鉄路線がなかった事が幸いし乗客の流出は起きなかったが、年々悪化する遅延に起因して乗客の減少が発生し、予断を許さない状況てあった。

そこで交通局が目を付けたのが当時早稲田営業所で実証実験段階にあったバスロケーションシステムだった。このシステムはバスの現在位置をバス停に設置した表示器に表示する事で乗客にバスの位置を知らせるシステムで、乗客から高い支持を得ていた。このバスロケーションシステムをさらに発展させたシステムの構築、定時制の改善、地下鉄に劣らない居住性の高い車両の導入を行い【橋89】のテコ入れを行う事とした。

都市新バスが誕生した瞬間だった。

整備内容は六本木通り、外堀通りにおけるバスレーンの整備、防風シェルター(または上屋)と接近表示器を設置したハイグレードバス停の整備(一部のみ)、現在位置や運行情報を統括するコンピュータの設置と停留所における車両検知センサーの設置。冷暖房、ハイバックシート完備の当時としては破格の車両を増便するなど、路線バスとしては破格の設備と投資を行って改善を行った。また【橋89】は渋谷〜南青山七丁目間を青山通り、骨董通り経由で結んでいたが、骨董通りは道が細くバスレーンか整備できない事、またスピードアップを目的に【渋88】と経路をトレード、南青山七丁目を六本木通りを引き続き直進するルートに変更となった。系統番号は都市新バスを示す"都"系統とし、番号も01から振り直される事となった。

こうして1984年の春、【橋89】は多くの整備を行い、装い新たに【都01】に生まれ変わった。運行日初日、早朝の渋谷駅では大規模な出発式が執り行われた。多くの観衆が見守る中で交通局の幹部が出席するなど、交通局の気合いの入り具合がうかがえた。管轄する渋谷営業所では都市新バス仕様の新車を大量導入し、六本木通りは一夜にして新車の行き交う通りに変貌したのだった。また方向幕は従来の白地幕から一目で都市新バスと判別できるように青地幕に変更された。

こうして華々しくデビューした【都01】だが、その効果はすぐに現れた。

都市新バス化した初年度の利用客は前年度の5割増に、86年度には【橋89】時代から2倍になるなど、数字から見ても圧倒的な集客を見せたのだった。翌年には早くも増便される事となり、都市新バスの効果を見せた。

同時に本系統は愛称の募集を開始し、多くの案の中から「グリーンシャトル」が選定された。車両フロント下の行灯には従来"都市新バス"と書かれた板がはめ込まれていたが愛称制定後は"グリーンシャトル"の愛称板がはめ込まれ、都章も専用のヘッドマークに変えられて運転されるなど、より特別感のある系統となった。

86年には赤坂アークヒルズが開業。【都01】はアークヒルズへのアクセス路線としても利用されるようになった。この頃には新橋側の乗客も増加傾向にあり、渋谷側も新橋側も満遍なく乗客が乗るようになった。昭和が終わる頃には青山学院への通学手段としての側面も見せ始め、昭和末期には渋谷〜南青山七丁目の短距離区間便が登場した。南青山七丁目ではそのまま折り返せないので、交差点を左折の上、【渋88】と同じ経路で回送する手法をとった。

また沿線に歓楽街を多く抱える路線柄、深夜バスの運転を開始。この策は大成功を収め【深夜01】として定着していく。

多彩な路線展開に増え続ける乗客、当時の【都01】の勢いは凄まじく、留まるところを知らなかった。まさに飛ぶ鳥落とす勢いと言ったところだろうか。交通局もこの勢いに甘んじ、誰もが末長い発展を信じて疑わなかった。

しかし、この【都01】神話はバブル崩壊と共に終わりを迎える事となった。

バブル崩壊により全国的に消費が冷え込む中、夜の街はその影響をモロに食らうこととなった。沿線に歓楽街を多く抱えていた【都01】にとっては大打撃となった。これにより夜を中心に乗客が減少していくこととなる。集客の要になりつつあった赤坂アークヒルズの輸送も【四80】など新たな交通手段の登場で安定域ではなくなりつつあった。

そこに追い打ちをかけたのは1997年南北線溜池山王延伸だった。

同駅の開業で渋谷、新橋から溜池地区が銀座線で結ばれる事になった。これにより銀座線へ乗客が流出する事態となり、さらに乗客は減少、特に新橋側の減少は顕著で3割以上の減少になったという。

都営バスの判断は早かった。98年の改正は【都01】にとって厳しいものになる。まず朝夕に設定されていた渋谷〜南青山七丁目の区間便はこの改正をもって全て廃止となった。しかし青山学院からの要望があったのか、翌年の改正で早くも復活している。

そして課題となっていた新橋側の乗客減は、減便という形で現れることとなった。この改正で日中約半数の便が溜池止まりに変更となり、新橋側を切り捨てた。溜池より先は銀座線と並行しており、切り捨てても問題ないと踏んだのだろう。これにより日中の新橋方面は約10分間隔となり、待たずに乗れるとは言い辛い本数となってしまった。

さらに2000年には南北線の全通に加えて大江戸線が開業。大江戸線にも六本木駅が設けられ、新たなライバルを迎えた。これに伴う同年12月12日の改正で更に1〜2割の本数減となった他、アークヒルズ構内に乗り入れていた【四80】廃止の穴埋めとして終バスを除く溜池止まりがアークヒルズ止まりに短縮の上で振り替えられた。

相次ぐ鉄道路線の開業と縮小方向の改正を繰り返した事から、この先も路線の縮小が続くと思われたが、21世紀に入ると風向きが変わり始める。

まず2003年4月、に沿線に六本木ヒルズが開業。これに伴い折返系統として渋谷駅〜六本木ヒルズの区間便が登場する。都営バスも広告やパンフレットの頒布など、積極的に宣伝を行った。子の宣伝が功を奏したのかこの六本木ヒルズ便は好調な滑り出しを見せた。半年後の10月には直行便の【RH01】の運用が開始、森ビル出資のもと専用車両となる2003年式のL代三菱ふそうエアロスターで運用される事となった。この直行便も乗客からの支持を集め、六本木ヒルズへのアクセス路線としての地位を固めていく。

この時期に所管の面でも動きがあった。これまで本系統の担当は渋谷営業所一筋だったものの2004年から新宿支所が参入して共管となった。新宿から渋谷への入出庫は当初【池86折返】で新宿伊勢丹前〜渋谷駅を営業し、新宿伊勢丹前からは回送だったが2007年以降は新宿車庫〜渋谷駅を甲州街道経由で営業運転を行うようになった。乗務員交代は山手線で行われていたという。従来本系統に入らなかったエルガや渋谷に配置のないCNGエアロスターが運用されるなど、車両面で面白い時期だったが2009年に新宿がはとバス委託された際に共管を解消した。しかし新宿はこの改正で【渋88】を受け持つ事になり、今に至るまで引き続き渋谷駅に顔を見せている。

また2003年度までに導入された車両はフロント下部のノンステップバスと書かれたサボがない代わりにグリーンシャトルのステッカーが貼られてるいわば都市新バス仕様だったが翌2004年度以降の車両からは通常車と同様にノンステップバスサボになり、都市新バス仕様車は2003年を以て導入が終了した。2004年から配置車両が三菱から日野に変わった事も理由にあるのだろうか。

2007年には六本木の防衛庁跡地に東京ミッドタウンが開業。それに伴い渋谷〜ミッドタウンの区間便の運行が始まるものの、本数が少なかった事やミッドタウンの乗り場が構内ではなく外苑東通り上にあった事から利用客が定着せず、4年後の2011年の改正でアークヒルズまで延伸される形でミッドタウン止まりは廃止された。

これらの積極策もあって乗客は増加に転じ、本数もコロナ禍前は最盛期に匹敵する本数を誇った。

しかしこの好調の最中コロナが直撃。緊急事態宣言で外出がなくなり、人出が戻った後も夜の街は苦しい経営を余儀なくされた。本系統も折からの乗務員不足があり、六本木ヒルズ止まりを中心に減便となり、六本木ヒルズ行きの区間便は廃止となり、六本木ヒルズへの輸送は【RH01】が受け持つ事になった。しかしコロナ禍が明けて夜の街に賑わいが戻って以降も乗務員不足や2024年問題があり本数は微減の一途を辿っており、最近では日中便を中心に混雑が激しく、需要と供給が見合っていない感がある。再びかつての活気を取り戻す日が来ることを願うばかりである。

かつての都市新バス仕様車には専用のヘッドマークとサボ(旧C代以前は行灯、ふそう車はステッカー)が取り付けられていたが、本系統はヘッドマークがペガサスをイメージしたもの、サボは青地にグリーンシャトルと書かれたものだった。2003年度のL代までこの仕様だったが、先述の通り翌2004年のM代以降は通常の都章にノンステップバスのサボへと変更された。L代の消滅と共にグリーンシャトルのステッカーを取り付けた都市新バス仕様車は消滅したが、コミケなどで国展急行が運転される場合は運転士の裁量と遊び心からノンステ表記の上からグリーンシャトルのステッカーが貼り付けられる事がごく稀にある。

余談

渋谷駅と新橋駅との間を結ぶバス路線には、経由地が異なる【都06】グリーンエコー(天現寺橋・赤羽橋駅経由。かつての【橋85】)や【渋88】系統(麻布台経由。以前は東京駅丸の内南口まで伸びていた)もある。前者は渋谷自動車営業所本所、後者は同・新宿支所の担当。

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