概要
都営バスが運行する都市新バス・【都03】(品川自動車営業所港南支所)、【都04】(有明自動車営業所)、【都05】(深川自動車営業所)の総称。
【都03】···四谷駅西口〜三宅坂〜銀座4丁目〜築地〜晴海埠頭
【都03-2】···四谷駅西口〜三宅坂〜東京駅丸の内北口
【都04】···東京駅丸の内南口〜銀座4丁目〜築地〜勝どき駅〜豊海水産埠頭
【都05-1】···東京駅丸の内南口〜銀座4丁目〜築地〜晴海埠頭
【都05-1出入】···東京駅丸の内南口〜銀座4丁目〜築地〜豊洲駅〜深川車庫
【都05-2】···東京駅丸の内南口〜銀座4丁目〜築地〜新豊洲駅〜東京ビッグサイト
都05
【都05】は現在のグリーンアローズの主力系統である。元々【都03】が一般路線(【銀71】。新宿駅西口〜四谷駅東口〜三宅坂〜築地〜晴海埠頭)であった頃に新設された折返し系統である【銀71折返】系統を出身とする系統である。折返系統なので当時は本数が多いとは言えない系統であり、【銀71】の区間便と言った扱いだった。
しかし東京駅から晴海通りを直結していた事から需要は高く、【銀71】と共に都市新バス化されると誰もが思っていたものの、1988年3月の改正であっけなく廃止となってしまい、東京駅と晴海通りの輸送は【都04】に任せる事となった。
しかし廃止から約2ヶ月が経った同年6月、この【銀71折返】と全く同じ経路を辿る新たな路線が誕生した。これが【都05】である。都市新バスの中で新規開業した唯一の路線であるが、実質的には先述の【銀71折返】を都市新バス化したものである。
1988年6月、他の2系統から僅かに遅れたものの、【都05】の歴史が始まった。東京駅では小規模ながら出発式が行われ、東京と晴海を結ぶ新たな系統の幕開けを印象付けた。
こうして折返系統から都市新バスと大出世を果たした【都05】は瞬く間に乗客を集めて行く事となり、混雑が慢性化していた【都04】の補助や東京から築地、晴海方面の利便性を大幅に改善していった。当時は築地、勝どきエリアの鉄道路線が日比谷線のみだった事もあり、巨大ターミナルである東京駅へと直通する本系統は大幅な支持を集めた。内堀通りと新宿通りで渋滞に詰まる事が多い【都03】と比較して遅延が少ない事も集客に役立った。
所管は【銀71折返】時代から引き続き【都03】の間合いで杉並が担当する便が僅かにあった他は全て新たに深川自動車営業所が担当する事になった。晴海埠頭と深川車庫は晴海埠頭行きを【都05出入】、深川車庫行きを【錦13出入】として営業するものや直接東京駅から入庫するもの、回送で回すものなど様々だった。深川にはこれを機に都市新バス仕様とした新車を大量に導入して対応した。
都市新バス整備直後こそ好調に見えた本系統だが、次第に雲行きが怪しくなってくる。
まず1996年に沿線に存在した晴海見本市がビッグサイトに移転する形で閉鎖された。イベント時には大量輸送を担い、集客の要であった見本市の閉鎖は、本系統に大きな打撃を与える。その後は緩やかに乗客の減少が始まったが、2000年に大江戸線が開業すると、本系統のみならずグリーンアローズ3系統を取り巻く状況は一変する。
まず本系統の独壇場だった勝どき、築地エリアには勝どき築地市場の各駅が開業。これによりこのエリアでのバスの優位性が消失する事となる。晴海通りの遅延が慢性化していた本系統は地下鉄に対抗する事ができず、大江戸線への乗客の流出を許す事となる。そして同年12月12日の改正で減便となり、以降は乗客の減少と減便を繰り返していくかに思われた。
しかし2000年代に入ると勝どき、晴海エリアでは宅地開発が急速に進行していき、住民も大幅に増加していく事となる。これにより本系統も乗客が増加。沿線の開発に助けられる事になった。2007年には晴海大橋が開通して豊洲、台場エリアと晴海通りが結ばれ、土日限定ではあるもののお台場方面への支線が開通することになった。これが【都05丙】、現在の【都05-2】である。当初は東京駅〜東京テレポートの路線であり、お台場への観光路線と言った性格の強い系統だった。このお台場への進出により東京駅からお台場へのアクセス性が格段に向上し、新たな客層を掴む事に成功した。
その後お台場方面は【海01】と経路をトレードする形で切り捨て、新たに【海01】撤退の穴埋めとして2013年より東京ビッグサイトへの乗り入れを開始した。ここで現在の形が出来上がり、その後2017年に番号整理により晴海方面を【都05-1】、ビッグサイト方面を【都05-2】として分割して完全に現在の形となった。
現在は東京駅と晴海方面の輸送よりも豊洲、有明方面の輸送がメインにありつつある。2018年には【都05-2】沿線に豊洲市場が開業し乗客か増加。更に2020年ごろよりイベント会場が豊洲地区に大量に開設され、イベント開催が大幅に増加たことにより複数会場でのイベント開催時は本系統は混雑が大幅に悪化。積み残しが恒常化するようになった。さらにコロナ禍が明けて訪日観光客が戻ってくるようになると豊洲市場などからの乗客も増加して積み残しと満員による乗車拒否が日常的に発生するようになり沿線住民から交通局に苦情が寄せられるようになった。交通局も【都05-1】の本数を間引き05-2に回したり回送を活用して本数を捻出するなど対策をしてきたがそれでも本数が足りず、イベント会場が本系統の利用を避けるように案内するなど前代未聞の状況が発生している。本数増加により東京駅ではロータリーを圧迫するようになったため2024年からは東京駅で共用していた乗り場を分離、【都05-1】はロータリー外はとバス乗り場付近に変更となった。さらに減便された【都05-1】も晴海地区の選手村跡地にマンションが整備されたことにより乗客の増加が見込まれるようになった。
かつて乗客減少に悩まされた本系統は、現在乗客激増による混雑と乗務員不足に悩まされるようになり、今後もしばらくは乗客増加と積み残しの課題に追われる事となりそうだ。
都03
【都03】は四谷駅〜三宅坂〜銀座四丁目〜勝どき駅〜晴海五丁目ターミナルを結ぶ路線である。かつては四谷から先、四谷三丁目、歌舞伎町を経由して新宿駅西口までを結ぶ系統だった。
この路線は【都05】の項目でも述べたように【銀71】を出身とする系統である。当時は築地、晴海エリアの鉄道路線が貧弱だったことや、有楽町線が全通していなかった事もあり、【銀71】は主力系統として機能していた。
しかし、経由する晴海通り、内堀通り、新宿通りはモータリゼーション化の煽りを受けて渋滞が恒常化しており、本系統も渋滞による遅延が多く発生し、無ダイヤ化することも珍しくなかった。また所管だった杉並自動車営業所は新宿駅から距離があり、回送の際も渋滞の激しい青梅街道を経由するため新宿駅の時点て遅延している事もあった。乗客も遅延が多発する本系統への信頼性が落ちており、主力系統とは言えども乗客の減少が起こったことから、テコ入れが急務となった。
そんな時期に、同じような問題を抱えていた渋谷営業所の【橋89】、大塚営業所の【塚20】が都市新バスされ【都01】、【都02】に生まれ変わり、乗客増加と収入増加で成功を収めていた。乗客と収入の減少で苦しめられた当時の都営バスにおいて、この成功は大きな励みとなり、3路線目の制定に動き始める事となる。そこで似たような状況にあり、集客性の見込める【銀71】が都市新バスとして整備される事となった。
バスレーンと接近表示器付きのバス停を整備し、新宿駅には主要停留所への所要時間が表示される大型掲示板が設置された。杉並には都市新バス仕様の新車が大量に導入され、大幅なグレードアップか図られることとなった。数寄屋橋から先、晴海通りの区間は同時に都市新バス化されることになる【銀16】と一体で整備される事になる。
1988年3月、【銀71】は装い新たに【都03】の名を纏って新たなスタートを切った。運転開始当日、早朝の新宿駅では大規模なセレモニーが開かれ、第一便の出発を飾った。既に渋谷、大塚と山手線西側には都市新バスが乗り入れていたが、大都市新宿もやや遅れて都市新バスのやってくる街となった。
運行開始当初は新宿通りと晴海通り区間で定時制の大幅な向上、接近表示器によるサービス性向上や車両のグレードアップて【銀71】時代と比較して収支も大きく上がった。新宿から杉並への入出庫は引き続き【宿91出入】で行う事となったため、稀に都市新バス車が青梅街道を走る姿も見る事ができた。
しかし90年代に入ると、次第に本系統の勢いは衰えていく事となった。
まず問題となったのは新宿通りにおける路駐である。バスレーンへの路駐が後を立たず、折角整備したバスレーンを使用する事ができなくなってしまうケースがあった。場合によってはバス停に車両を付けられず、車道の真ん中で乗降扱いを行わざるを得ず、安全面で問題があった。
更に収支の面でも陰りが見え始めた。本系統は【都01】、【都02】と異なり新宿〜晴海通りなどの長距離利用が多く、乗客の入れ替わりが少なかった。それにより収支が思うように上がらず、かと言って乗客の大半が新宿通りからの乗客だったため、安易に新宿側を切り捨てる事もできなかった。
定時制も内堀通りで詰まる事が多く、都市新バスの売りだった定時運行ができない場合が多く、築地から新宿駅まで60分かかる事もあったという。
都市新バス化したメリットを上回るデメリットの噴出、そして有楽町線の全通や南北線の区間延伸もあり、本系統の収支は緩やかに下がり始めた。そこに追い討ちを掛けたのが晴海見本市の閉鎖だった。
晴海見本市の閉鎖は、本系統にとって太客の消滅を意味した。乗客が減少していたとは言え、晴海見本市のイベント時の利用は非常に多く、本系統も続行便を出して対応するなど、収入の面で見ても大きなものだった。晴海見本市の閉鎖で固定客の激減もあり、本系統を取り巻く状況は目まぐるしく変わっていく。
こう言った理由もあり、90年代後半にはついに新宿側を切り捨てた四谷打切便が登場するようになった。同時期に四谷駅を発着していた【四80】が減便された事もあり、四谷駅のキャパに余裕が出てきた事も大きかったのだろう。その後も次第に四谷打切が増えていくが、先述の通り本系統の乗客の多くは新宿〜晴海通りの通し客であり、四谷が輸送の境目ではなかった事や四谷という中途半端な行き先にした事で余計に利用し辛くなった事から乗客減少に拍車をかける事になった。
こうして有効な打開策を打てないまま2000年12月12日、大江戸線開業に伴う大改変を迎える事となった。
大江戸線開業により築地、勝どきエリアには勝どき駅築地市場駅が開業、この地区から新宿が鉄道1本で結ばれる事となった。起点と築地、晴海エリアが鉄路で結ばれたため、本系統の強みだった新宿〜晴海エリアの直通が鉄道に取って代わられる事となった。
乗客の減少に鉄道の開業、ただでさえ苦境に立たされていた本系統にとってはあまりに大きすぎる打撃は、最早死体蹴りの形相を示し、交通局にとっても路線を守る理由が無くなっていたことは言うまでもなかった。
そしてこの改正でついに四谷より西側、新宿通りの区間を切り捨て、四谷発着に改められた。丸ノ内線と並行していたとは言え、この区間での集客は多く、交通局は自ら収支性の高い区間を捨てる形となったが、それだけ合理化が優先だったのだろう。これにより杉並からの回送が不可能になり、所管が杉並から深川に移管された。杉並所属の都市新バス仕様車は大半が深川に転属し、同じ顔ぶれで走行し始めた。
しかし先述の通り輸送の谷が四谷ではなく、わざわざ丸ノ内線から乗り換えてまで利便性の下がった本系統を利用する乗客などおらず、余計に乗客の減少を招く事となった。改変から僅か1年で本数は半減し、最早都市新バスの売りだった待たずに乗れるというメリットは消え失せた。その後も乗客減→本数減という負のスパイラルからは抜け出せず、没落の一途を辿っていく事になった。
2012年、あまりにも酷い乗客減少と本数減により、ついに港南支所に移管、はとバス委託路線となった。回送経路は深川よりも長くなるが、それ以上に合理化が出来るという事なのだろう。都市新バスにとけるはとバス委託路線は本系統が初であり、2024年現在でも本系統が唯一の存在である。本系統の没落ぶりを象徴する出来事であった。
港南移管後はHRが入る事が多くなり、ヘッドマーク、サボも港南には引き継がれることはなかった。港南移管後は更に本数が減らされ、現在は毎時1本以下にまで減便させられてしまった。乗客も晴海通り完結の利用が多く、本数の多い【都05】や【都04】を待っている時にたまたま来たため利用するといった方法が多く、この系統をわざわざ選ぶ乗客はごく僅かである。
車両面ではHR消滅後は古参と新車が半々程度で入るようになり、配車面での冷遇はなくなっている。
2024年のHarumi Fragの街開きに伴う改正で、本系統の終点が晴海埠頭から新たに開設された晴海五丁目ターミナルに変更された。終点の変更は本系統初であり、晴海五丁目ターミナルに乗り入れる系統の中で唯一短縮された。
こうして都市新バスとして鳴物入りした【都03】は没落に没落を重ね。都市新バスとは名ばかりの系統にまで落ちぶれる事となった。四谷止まりでなければ別の未来があったもしれない。そして、同じく港南所管の【品97】のように杉並と共管し、再び新宿に乗り入れる日が来れば、その路線のあり方が大きく変わるかもしれない
都04
【都04】はかつての【銀16】であり、1982年の交通局再編で誕生した比較的新しい系統である。また都市新バスの多くは都電の廃止系統を直系の先祖として持つが、本系統は都電廃止系統を直系の先祖に持たない珍しい系統でもある。
【銀16】自体の歴史も浅く、1982年の再編で登場したのは先述の通りたが、この系統も深川所管だった初代【東16】(東京駅〜勝どき五丁目)と渋谷所管だった【銀86】(渋谷駅〜豊海水産埠頭)を掛け合わせて誕生した系統だった。【東16】は朝夕のみの路線で利便性に欠け、【銀86】は都電代替で本数はあったが大半が豊海〜虎ノ門であり渋谷に至る便は減少していた。そこで乗客の見込める東京駅に行先をすげ替え、大規模な操車場のある豊海へと延伸する形で誕生した。運行区間は【東16】を、本数は【銀86】を引き継いだ高頻度運行となった。
この策は大成功を納め、【銀16】瞬く間にドル箱路線へと進化した。東京から勝どき、豊海方面へと向かう系統はこれまで【銀71折返】が僅かにあるのみで、本格的な運行路線は本系統が初だったが、東京駅から乗り換えなし、多頻度運行で晴海通りを直結する本系統は高い支持を集めた。しかし晴海通りは渋滞が激しく、ダイヤが乱れる事が多々あった。そこで定時制向上と設備の大幅な強化を行い路線の立ち位置を確固たるものにすべく、同じく晴海通りを走行する【銀71】と同時に都市新バスとして整備する事になった。それが【都04】の始まりだった。
整備内容は晴海通りにおけるバスレーンの整備と接近表示器、シェルター付きのハイグレードバス停の設置、専用車の配置など他の都市新バス系統と同じだが豊海付近は交通渋滞が激しくないと考えたのか、バスレーンは省略された。
そして1988年3月、本系統もまた、【都04】として新たな歴史をめくる事となった。東京駅では出発セレモニーが行われ、第一便の出発を飾った。
所管は【銀16】次第より引き続き江東が受け持つ事となった。東京駅も豊海水産埠頭も江東からは距離があるが、豊海水産埠頭では既に江東の【門33】が操車していたため、都合が良かったのだろう。江東への入庫は【門33】で(豊海水産埠頭〜緑一丁目)を営業し、緑一丁目から京葉道路で江東に回す経路を取った。そのため朝夕には都市新バス車が清澄通りを走る事もあった。
こうして運転を開始した【都04】は他の2系統と比較しても大きな動きはなく21世紀を迎える事となった。豊海地区の倉庫、団地輸送をメインとしていた本系統は運行距離も短く効率のいい運用が可能な上、晴海地区に乗り入れない事から見本市閉鎖の影響も受けなかった。2000年の大江戸線開業も若干の減便こそあったが影響は最小限に抑えられ、乗客の流出も少なかった。
そして2003年、これまで全くと言っていいほど動きのなかった本系統にも動きがあった。
これまで本系統は【銀16】時代より長らく江東が所管してきたがこの年に深川へと移管された。これにより【門33】による入庫がなくなり、清澄通りを走る都市新バスは見納めとなる。入庫は【都05出入】で行い、車両も他のグリーンアローズ車と共通になった。
しかし深川時代も長くは続かず、2009年に深川と江東で共管していた【錦13】とトレードする形で再び江東へと戻る事となる。江東に戻って以降は江東〜豊海の入出庫は全て回送に変更され、同時にかつての【東16】の名残りで僅かにあった勝どき五丁目経由便が廃止された。そしてこれを機に本系統は"全便ハイブリッドノンステップバス"で運転される事となり、新車としてS代の日野ブルーリボンシティが江東に大量導入された。しかし移管当時から稀に通常のノンステップ車やCNG車が運用に入る事もあり、すぐに固定運用ではなくなった。江東所管末期にはハイブリッド車が臨海や青戸へ転出し配置が減っていたため他のノンステップバスと共通運用となっていた。
江東に移管されてから10年ほどが経過した2021年、都営バス新たな営業所として有明営業所が開設された。これにより本系統は江東から有明に段階的に運用を移管する事となり、2022年の改正で全便有明に移管された。有明にはハイブリッド車の配置があるものの、江東時代から引き続きディーゼル車と共通運用されている。有明移管以降は新車固定ではなくなり、新車から古参までバランス良く運用されるため、配車面でも特徴がなくなった。なお、朝のみ運転だった速達系統の【直行02】は引き続き江東が所管していたが、2024年に廃止されている。
何れの系統も晴海通りを経由し、矢を持ったキューピッドがデザインされたヘッドマークを掲げた車両が使用される。
関連
コミックマーケット···かつて晴海会場で、のちに現在の東京ビッグサイトに会場を移して開催されている点で、グリーンアローズと深い関係がある。