概要
その歴史は長く、古くは6000年以上前の古代エジプトの時代までさかのぼるとされる。
古代エジプトでは、『人体出現の技術』と呼ばれる方法で死者との交信が行われており、それらの内容は墓石や石棺に絵文字として刻まれ、それを古代の学者たちが収集し編纂したものは『死者の書』と呼ばれている。
経緯
この名称で呼ばれるようになった事件が存在し、以下はその詳細である。
ハイズビル事件
1848年にアメリカニューヨーク州ハイズヴィルのある家にポルターガイスト(騒霊現象)事件が起き、引っ越してきたフォックス一家がこの家に住んでからというもの、ラップ(叩音)現象に悩まされ、フォックス家の幽霊騒動は当時のマスコミにおいても一大事件として扱われた。
ある日、フォックス家の娘のひとりケイトが「もしこの騒動が幽霊の仕業であるなら、私の問いに答えて」と手を叩いてみせると、驚いたことに手を叩いた数と同じ数のラップを返してきた。
その反応に驚いた家族は、アルファベットを綴ったボード(このアイデアが後に交霊用のウイジャボードになった)をもとに、霊との交信を試みた。
すると、このラップでの交信が確かな文章となり「自分は5年前にこの家に住んでいた者に殺された、チャールズ・ロスナーという名の行商人である」と告げ、そして自分自身がどのように殺されたのかなど細かに語り「この家の地下に埋められている」とも伝えてきた。
後にこの交信をもとに調査した結果、この家の地下からは人骨と毛髪そして行商人の鞄が発見された。
この最初に交信された日、それが3月31日である。
この日がなぜ記念日であるかといえば、それまでの現世で起きた心霊現象のほとんどはエマニュエル・スウェーデンボルグを代表とするような、霊媒本人のみが知覚しうる心霊現象(「精神的心霊現象」または「主観的心霊現象」という)が中心であったのに対して、ポルターガイスト現象という「物理的心霊現象」または「客観的心霊現象」という、第三者が知覚しうる現象であったことも大切なポイントであり、歴史上初めて霊との交信を客観的に示したエポック・メーキングな出来事であったからである。
それが3月31日である。
事件後
その後、当時科学研究の中心であったイギリスなどで、心霊現象の研究が盛んに行われるようになり、ケンブリッジ大学関係者により (The Society for Psychical Research)心霊研究協会(霊魂を否定するための研究団体)も設立された。イギリス人の気質もあってか、戦後日本のように心霊現象を頭ごなしに否定することはせず、否定するのであれば霊魂は存在しないことを証明する必要があるという、科学者として真摯な姿勢であることが興味深いところである。
(また、現在も名称だけが誤謬されてしまっているが、本来「霊媒」(ミディアム)とは、研究のために霊界との交信を協力する役目を指すものであって、心霊研究用語として誕生したもので、日本のように祈祷師を指すものではない)
研究者の中には、イギリスの首相アーサー・バルフォア、タリウム元素を発見した物理学者サー・ウィリアム・クルックス(クルックスが心霊現象を真実であると確信できたのは人体浮遊で有名だったD・D・ヒュームの存在であり、またフローレンス・クックの交霊実験、エクトプラズムによる完璧な物質化現象、美しい霊「ケイティーキング」とのツーショットの写真はとても有名で、霊はピアノを弾いて見せたりもしていた)、 物理学者オリバー・ロッジ卿、ノーベル賞受賞生理学者シャルル・リシェ(1893年には、当時話題になっていたイタリア人霊媒エウサビア・パラディーノを調査する過程で、ギリシア語のecto(外の)とplasm(物質)を組み合わせて「エクトプラズム」という新語をつくりだした)、その他、サー・アーサー・コナン・ドイルなど、歴代著名な学識人が名を連ねていた。
霊魂を否定するために設立された心霊研究協会だが、現在も存在しているという事実により、いまだ霊魂を否定できていない証拠と捉えると興味深いものがある。
このように、心霊現象研究に関わった学者の中には、研究を進めているうちに、より霊魂の実在を確信するものたちが続出した。そして、「死後の世界があるということが紛れもない事実であると確信するならば、これまでの常識が覆されることになる。ならば真実の生き方をするべきである」とした哲学をスピリチュアリズム(Spiritualism)といい、その人生観にて生きるものをスピリチュアリスト(Spiritualist)と名付けられた。
また、後に様々な霊界通信は異口同音に「このポルターガイスト事件は、霊界が計画した人類へのメッセージである」と述べている。
日本において
日本においては、江原啓之氏や彼が設立した『日本スピリチュアリズム協会』が有名だが、実はそれ以前から存在している。
西洋でのスピリチュアリズムの台頭とほぼ同じ時期に、幕末の思想家・国学者の平田篤胤や彼の門下による、『仙境異聞』や『神界物語』などの文献を元にした死後世界の研究や、『天理教』『金光教』『黒住教』などの「神がかり」による教派神道の成立が相次いだ。
明治には、仏教学者(文学博士)の鈴木大拙により、禅が西洋に紹介され、エマヌエル・スヴェーデンボリ(スウェーデンボルグ)などが唱える西洋の神秘思想が日本にも伝えられるようになった。
大正期に入ると、当時もっとも実施的な心霊研究をしていた『大本教』が巨大教団へと成長し、幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教の源流の一つとなり、昭和には大本教を離れた後に「日本の心霊主義運動の父」と評される浅野和三郎の『心霊科学研究会』を中心に、西洋のスピリチュアリズムが日本へ本格的に紹介されていった。