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北条政村の編集履歴

2015-11-29 00:54:44 バージョン

北条政村

ほうじょうまさむら

鎌倉幕府・第7代執権。北条時宗が執権に就任すると連署に就任、時宗を補佐した。

概要

生没年 元久2年(1205年)6月22日~文永10年(1273年)5月27日

 鎌倉幕府・第7代執権。父は第2代執権・北条義時、母は伊賀朝光の女。兄に第3代執権・北条泰時、北条(名越)朝時、六波羅探題北方、連署などの要職を歴任した北条重時、弟に金沢流北条氏の祖・北条実泰、北条有時ら、子に第9代執権・北条貞時のもとで連署を務め「北条宗方の乱」で北条宗方に殺された北条時村がいる。


 建保元年(1213年)、鎌倉幕府・第3代将軍源実朝の御所で元服。

 承久元年(1219年)、3代将軍・実朝が鶴岡八幡宮で暗殺され、幕府は次の将軍として天皇の皇子を望んだが朝廷の最高権力者・後鳥羽上皇はこれを拒否、妥協案として京から九条頼経(藤原頼経)を迎える。

 承久3年(1221年)、承久の乱が起きるが幕府は1ヶ月余りでこれを鎮圧し、兄・重時を六波羅探題北方に置き、京の治安維持にあたらせる。

 元仁元年(1224年)6月13日、父・頼朝が死去、母・伊賀朝光の女により次の執権に担ぎ出されたが阻止され母は伯母・北条政子の命で伊豆に流され、兄・泰時が次の執権に就くことになったが、政村は兄・泰時の計らいによって罰を受けることを免れた(伊賀氏の変)。これ以後、北条氏一門の重鎮として一族を支え続ける。

 嘉禄元年(1225年)、頼経の後見を務めていた伯母・政子が死去。

 嘉禄2年(1226年)、前年に元服していた頼経が9歳で4代将軍に就任。

 仁治3年(1242年)6月15日、第3代執権・泰時が死去し、泰時の孫・経時が執権に就任。

 寛元2年(1244年)、経時と対立を深めていた将軍・頼経を強引に将軍職から解かせると、経時は次の将軍に頼経の子でわずか6歳の頼嗣を据える。

 寛元4年(1246年)、4代執権・経時が23歳で死去し、経時の弟・時頼が次の執権に就任、この機に乗じて頼経派の名越光時が得宗家打倒に動くが、すぐに鎮圧され、鎌倉にとどまっていた頼経は京に返され、光時は伊豆に配流、頼経派の多くは処罰された(宮騒動)。

 宝治元年(1247年)、宝治合戦が起き、頼経派であった有力御家人・三浦氏が滅亡。

 建長4年(1252年)、後嵯峨天皇の第一皇子・宗尊親王を次の将軍に迎えるために、頼嗣を将軍職から罷免、京に返す。(頼経・頼嗣父子はこの年相次いで亡くなっている)

 康元元年(1256年)、5代執権・時頼が病に倒れ出家、跡を継ぐべき時宗は幼少であるためつなぎとして重時の子・長時が執権、政村が連署に就任する。しかしながら、実権は俗世から離れた得宗・時頼の手にあった。

 弘長3年(1263年)11月22日、時頼が死去。

 文永元年(1264年)7月、6代執権・長時が病に倒れ出家(8月に死去)、政村が執権に就任する。

 文永3年(1166年)、5代将軍・宗尊親王を京に返し、惟康親王を新たな将軍に迎える。

 文永5年(1268年)正月、服属を求める元からの使者が太宰府に現れる。未曽有の国難が迫るなか、18歳の若さで時宗が執権に就任、政村は連署に就任し安達泰盛平頼綱らが補佐する。

 文永9年(1272年)2月11日、謀反の疑いにより鎌倉で名越時章教時兄弟が、六波羅で時宗の異母兄・時輔が殺される事件が起きるが、後に時章は無実だったことが判明する(二月騒動)。

 

 文永10年(1273年)5月27日、政村死去。享年67歳。連署から執権に就任し、執権から連署に就任した人物はほかにいない。


創作物における北条政村

大河ドラマ北条時宗

(演:伊東四朗

作中でも執権、連署、北条一族の長老として活躍するが、狸親父キャラとして描かれている。時頼、長時、足利頼氏が相次いで亡くなった際に行われた鬼払いでは鬼役を務めた。時宗が時輔を六波羅に追放することと引き換えに執権就任を辞退し、政村が執権職に就いた際は小躍りをして喜んだ。この時それまでの侍烏帽子に替えて立烏帽子を新調し、執権職へのこだわりと喜びを表した。だが鎌倉武士であることにもこだわり、元寇に際しては「鎌倉武士らしく」と説得されて時宗に執権を譲った。ちなみに政村は時輔を「いっそ、あの世に追放したらどうじゃ?」と一貫して主張しており、時宗に執権の座を譲った後に時宗が時輔の討伐を決めた際も「よう決断なさった」と時宗の決断を評価している。


たびたび仮病を使うが、第30話で本当に病で倒れた際は時宗を含む評定にいた全員から「いつもの持病でござるか」と仮病扱いされた。


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鎌倉時代 鎌倉幕府 執権 連署 北条義時 北条泰時 北条時頼 北条時宗

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