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F-8の編集履歴

2016-01-17 11:32:46 バージョン

F-8

えふはち

アメリカ、ボート社による艦上戦闘機。1952年から開発が始められ、空母艦載機はじめての超音速機。F-4に比べて小型・軽量なので小型空母でも運用できる使い勝手の良さが特徴。愛称は『クルセイダー』(十字軍戦士)。固定武装に機銃が残されていたので「ラスト・ガンファイター」とも呼ばれ、時期によってはF-4以上の戦果を挙げている。

海軍初の超音速機

開発は1952年、アメリカ海軍が超音速戦闘機を求めたことに始まる。

時はあたかも朝鮮戦争のさなか。

同じころ、空軍の方は『センチュリーシリーズ』と呼ばれる一連の超音速戦闘機を開発している。


もちろん空軍に負けじと、海軍でも超音速戦闘機を欲していた。

だが朝鮮戦争では最新型機の「グラマンF9F」でさえ共産軍の最新鋭機に苦戦を強いられており、

ここに全く新しい超音速戦闘機が求められたのだった。


最初の試作機(XF8U-1)は1955年3月25日に初飛行を行い、そのまま超音速飛行にも成功した。

また、F-8では当初から機首にレーダーを搭載する事が考えられている。

従って機首先端はレーダーの為に空けてあり、それまでの戦闘機とは一線を画する恰好になった。


とんがりショックコーン

だが、これが超音速飛行の大きな助けになった。

同じエンジンで近い翼面積を持つF-100(亜音速・超音速の性能バランスがほぼ同じ)よりも、

F-8はなんと約500km/hも速かったのだ。


のちの調査で分かったことだが、原因は機首に設置されたレーダーだった。

レドームで生まれた超音速の衝撃波は上手いことエアインテイクに導かれ、コンプレッサーの働きを増幅する事が判明したのである。

これにより超音速でのエンジン出力は大幅向上し、500km/hという速度の優越に現れたのだった。

のちに他の機(たとえばF-104ミラージュ3)の設計にも応用され、「ショックコーン」として有名になるのだが、この時点ではまだ軍事機密とされている。


可変「主翼取り付け角」戦闘機

F-8では独自の機能として主翼の取り付け角を変える事ができる。

これは前作「F7Uカットラス」の反省で、『着艦の際に視界が悪い』という欠点を改善したのである。

着艦の際に主翼の付け根が丸ごとジャッキで持ち上げられるようになっており、

機首を上げて速度を落としても前を見やすいように配慮されている。


だが「主翼に重いものを積み込めない」、「整備の手間が増える」等の欠点のせいか、同様の機構をもつ機は存在しない。ボート社の次作でさえフラップ追加で十分とされ、可変取り付け角機構はF-8の採用のみで終わった。


F7U「カットラス」

F7Uは「無尾翼機」という、現在の目で見ても斬新な(というより無謀な)形態をとっている。

これはナチスドイツから押収された資料を参考にしており、何よりも高い飛行性能を目指したのだ。

実際に(当時の艦載機として)最高速度記録を塗り替える性能を示したが、

無尾翼機特有の『低速での安定が悪い』という欠点のせいで事故を多発。


当然『未亡人製造機(ウイドウメーカー)』との汚名を頂戴し、1959年にわずか8年の現役を終えた。


F-8のあゆみ

F-8の部隊配備は1957年から始まっている。


F-8A(旧F8U-1)

最初の生産型ではレーダー未搭載のまま完成し、311機が生産された。

RF-8A

F-8Aの機首を改造して5基のカメラを内蔵した偵察機

武装はすべて外されており、高速で敵を振り切って写真偵察を行う。

RF-8G

使い込んで傷んだRF-8Aのオーバーホール&改修型。


F-8B(旧F8U-1E)

本格的なレーダー搭載は続くこのF-8Bとなり、APS-67レーダーを搭載している。130機生産。

F-8L

F-8Bをもとにオーバーホールを施した型。だが第一線での活躍はさすがに無理で、主に後方での予備役任務に使われている。


F-8C(旧F8U-2)

機体の下部に安定板(ベントラルフィン)が追加され、エンジンにもチューンナップが施された。

F-8K

F-8Cをもとにしたオーバーホール型。予備役や搭乗員の訓練などが主。


F-8D(旧F8U-2N)

レーダーを新型のAWG-4に換装し、エンジンのチューンナップも進んだ。

F-8H

F-8Dの予備役向きオーバーホール型。

F-8P

フィリピンへ輸出されたF-8Hには、この呼称が使われる時もある。


F-8E(旧F8U-2NE)

主翼にハードポイントが追加(2か所)され、エンジンがさらに強化された。F8U-3が不採用になった事から、結果的にシリーズ最終型となる。

F-8E(FN)

F-8Eのフランス海軍向け輸出型。シリーズ中一番の長寿命で、1999年まで使われた。

F-8J

F-8H同様にオーバーホールを受けたF-8E。改修内容の一部はF-8E(FN)に準じている


V-1000

F-5Aに続く海外軍事支援計画(MAP)用戦闘機。コスト面でF-5E/Fに敗北。


十字軍戦士の戦い

ベトナム戦争では海軍海兵隊の航空部隊に配備され、活躍している。

戦争終結後は「エセックス」級の空母がすべて退役したので、F-8も1976年には退役した。


ベトナム戦争における撃墜数は18機。

これはF-4の半分ほどだが、『撃墜対披撃墜比率(キルレシオ)』では4軍最高の8:1を誇る。


偵察機型であるRF-8Gはその後も長く残され、RA-5Cなき後の艦隊偵察任務を受け継いでいる。後釜にはF-14の戦術航空偵察ポッド(TARPS:Tactical Airborne Reconnaissance Pod System) 装備機が据えられる予定だったのだが、すでに実績を積んだRF-8Gは整備・運用などで何かと便利だったらしく、その上運航費用の安さもあって1987年まで活躍している。


海兵隊F-8部隊のその後

海兵隊はF-8の後継にF-4を配備しており、もちろん対地支援に使っている。

元々海兵隊への戦闘機配備理由は『海兵隊員への対地支援のため』というものであり、理由としては

・「艦隊防空戦闘機であること(対地支援は専門外)」

・「複雑すぎて前線での整備に問題アリ」

・「そもそも高価」

などが理由として挙げられる。


実際、海軍は高価で複雑、その上維持にまで費用のかさむF-14には手を焼いており、しかも防空戦闘機とあって「つぶし」の効かない機能には悩まされていた。

湾岸戦争ではF-14も精密爆撃に駆り出されたが、役に立った訳では無かった。

肝心の搭載能力はGBU-12を4発搭載するのがやっとで、当時の海軍機の中では最低だったのである。


欲しくなかった独自機能

1960年、イタリアのナポリでF8U-2(F-8C)が離陸直後の「事故」により緊急着陸した。

この事故とは『主翼を畳んだまま離陸した』事で、同様の例は7例も起きているという。


F-8は「主翼角度変更機構」があるのでフラップは少なく、全ての動翼は「折り畳み機構」より内側にある。対してA-7はフラップを大幅増設するため外側にも設置しており、このような場合は飛行できない。

参考文献:「エアログラフィック第7号」(ソニー・マガジンズ,1991年)P54より


エリア88では「主翼を折り畳んで飛行できる」と言われているが、上述の通り離陸できる程度の話であって作中のように折り畳んだ状態で戦闘(固定目標の空爆だが)したり、ましてや離陸後に主翼を折り畳むなんて芸当はできない。

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