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概要
大日本帝国海軍の軽巡洋艦で、浦賀船渠で建造された長良型の6番艦。
史実でも数々の艦隊旗艦を歴任した軽巡であると同時に、ちょっと不幸な軽巡洋艦でもある。
まず完成を目前にしていたところに関東大震災が起こり、造船所の施設が被害を受けたため、完成は1年以上遅延し、就役は1925年5月26日。
その後も大演習中に軽巡洋艦「北上」に突っ込んでしまい、艦首を大破。
戦時中のキスカ島撤退作戦では島風や響を率いて行ったものの、霧が異様に濃く、見張り員が島の影を敵艦と誤認し、右魚雷戦の号令で魚雷4本を発射。皮肉にも見事に全弾命中したそうである。これによる損失額は現代でいうところの20億円相当であるなどなかなかに笑えない。
このように何かと不幸なのが阿武隈という軽巡洋艦であった。
しかし、北上との追突事故では修復ついでに長良型で唯一、艦首形状をダブル・カーベチュア型(ダブル・カーブ型)事ダブルカーブド・バウ形状に変更するなど怪我の巧妙もあった。一般的にはこの艦首形状変更で航洋能力が向上したと言われている(神通や那珂も同様)が、凌波性が向上したものの従来のスプーン型バウからの航洋能力の向上はそれ程無く、どちらかと言えば艦首波が前甲板上に被り前甲板に搭載した砲が使えなくなるのを防ぐ位しか効果が無かったと言う説も有る。
なにより心温まるエピソードが、撤退作戦で陸軍部隊を無事に収容した後、阿武隈主計科では炊飯を行い塩おにぎりを配った。撤収部隊は、敵に発見されないように煙があがる炊飯は禁止されていた為にカンパンを配るはずであったが、「苦労した味方にカンパンでは主計科の恥」との心意気で実現したおにぎりである。その時の陸軍兵士たちは終戦後に感慨深く「うまかった」と回想していたという。
その最後は第5艦隊の遊撃部隊(21戦隊1水戦)としてレイテ沖海戦に参加し、スリガオ海峡海戦において敵魚雷艇群の攻撃を受け中破。指揮系統を霞に移譲し、潮を伴い戦線を離脱。その後も航空機による執拗な攻撃にさらされ、ついにB-24爆撃機30機の攻撃を受け沈没。
生存者はなんとか米軍機の攻撃を回避した駆逐艦「潮」に救助され、全員マニラへ送り届けられたとのことだが、この時生き残った乗員の多くも、その後のマニラの戦いで戦死してしまう。
2代目「あぶくま」
戦後、1989年にあぶくま型乙型護衛艦(DE)として「あぶくま」の名が受けつがれた。(全6隻、現役)
姉妹艦:「じんつう」「おおよど」「せんだい」「ちくま」「[[とね>とね(護衛艦)」
(「じんつう」「せんだい」は川内型軽巡洋艦、「おおよど」は軽巡洋艦「大淀」、「ちくま」「とね」は利根型重巡洋艦から採られた。川内型・利根型共に姉妹関係が逆転している。)