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F-80の編集履歴

2016-04-28 21:29:33 バージョン

F-80

えふえいてぃ

F-80は愛称を「シューティングスター」というアメリカが開発したジェット戦闘機。大戦にはいろいろ間に合わなかった戦闘機だが、朝鮮戦争での活躍をはじめ、黎明期のジェット戦闘機としては立派に活躍した。

この航空機は第二次世界大戦中に開発された第1世代ジェット戦闘機であり、実用機としては世界で二番目の実用単発ジェット戦闘機(一番目はイギリスデ・ハビランド バンパイアこの機体は戦闘機としてよりも戦闘爆撃機練習機としての利用、ちなみにミーティアMe262は双発ジェット機である)。


 また、この航空機は実戦では目立った活躍はしていないものの、練習機として胴体を延長し、複座にしたT-33は大活躍し、21世紀においても使用されているといわれる。


余談ながら、F-80の主任設計者ケリー・ジョンソンは、この機の評判を聞きに実戦現場に出かけていき、そこで得られたパイロット達の要望に応えてF-104を設計することになる。


製造

 この航空機はXP-80(当時は陸軍航空隊の所属であった)として1943年に企画され、設計はそれまでのレシプロ戦闘機のデザインを踏襲したため、一週間程度、半年で試作機1号が製造されるという、圧倒的なスピードで製作された。

 ところが、ライセンス生産のエンジン(このエンジンはバンパイアなどに搭載されたゴブリンエンジンとなる)が製造した会社の不手際で間に合わなかったため別のエンジン(イギリスの自動車およびエンジン等の製造メーカー、ロールスロイス開発のライセンス生産)に変更、設計変更を余儀なくされた。

 しかし試験の結果は良好であり、P-80として5000機もの発注を受けた。


戦争に間に合わなかった

 ところが時は1945年、すでに第二次世界大戦は終結に向かっており、訓練期間中に戦争は終結、実際の製造は900機程度でキャンセルとなった。

 また、この航空機は高高度で飛行特性が不良である、またエンジン性能のため離着陸が難しいという欠点も存在した(T-33などの派生機においては緩和された)。

 1948年には陸軍航空隊がアメリカ空軍として分離されたため、F-80(P:追撃機⇒F:戦闘機)と名称が変更された。

 この航空機に活躍の機会が与えられたのは1950年、朝鮮戦争のことである。

 ところが、このときソ連の使用する航空機はドイツの技術を適用し、イギリスのエンジンを魔改造したジェット機、MiG-15であった。

 この航空機には第二次世界大戦設計のこの航空機では歯が立たず、迎撃任務はアメリカ空軍最新鋭のF-86に譲り、対地攻撃や偵察などに専念した(なおこの際オーストラリアが用いたグロスター ミーティアも同様の状況となっている)。

 

ただしこのような状況でもこの航空機は1700機以上製造された。確かにF-80は高速・高高度では不安定な性質もあったが、基本的に従来のノウハウで設計された事もあって低空での操縦性はよく、この事は戦闘爆撃機として活躍するには都合がよかった。


C型からは主翼にHVAR(ロケット弾)を10発は搭載できるようになり、主翼端に装備される燃料タンクも、中央の円柱部品を2個分使って延長した『通称:ミサワ・タンク』が現地製造されて使われるようになった。機首には12.7㎜機銃M3の6門が集中して搭載されており、主翼に搭載していた頃と比べても集弾性はすこぶる優秀と評価(当たり前といえば当たり前だが)された。


外国での利用

 この航空機自体を使用した国はそれほど多くなく、アメリカ合衆国以外では南米のいくつかの国(ただし比較的国力が強い国)とユーゴスラビア程度である。ただしT-33は広く使用されている。


派生

 この航空機からは以下の航空機が派生しているが、戦闘爆撃機偵察機も存在している。なお別記号となっているものは次のとおり。

T-33-練習機、6000機以上製造されたベストセラー

F-94-複座の機体にレーダーを搭載し夜間戦闘機としたもの。アメリカ空軍のみで使用され、800機以上製造されている。


関連項目

第1世代ジェット戦闘機 アメリカ

シューティングスター T-33


参照

wikipedia:F-80_(戦闘機)およびリンク先。

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