ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

柳田國男の編集履歴

2016-05-31 08:19:20 バージョン

柳田國男

やなぎたくにお

日本の民俗学者。日本近代民俗学の父。

概要

1875年(明治8年)7月31日兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)に儒者医師の松岡操、たけ夫婦の6男として生まれる。


1901年(明治34年)5月に柳田家の養嗣子になる。養父直平(旧・飯田藩士 / あの、飯田線の飯田。の風越女子高がある)は大審院判事。近くの寺の子供を殺す母親の絵馬を見て、一生もののトラウマになった。


1910年(明治43年)に「遠野物語」を出版。

日本民俗学の黎明を告げた名著となった。「座敷童」や「マヨヒガ」など、一般的にも知られるような怪異をまとめたものである。


官僚の人で農政に骨を折ったが、民俗学においては民衆の目線で、「本に書かれた歴史は官吏の書いたものであるから信用できない」というスタンスをとった。


1962年(昭和37年)8月8日に、心臓衰弱のため自宅で死去、享年87歳。

墓所は神奈川県川崎市春秋苑


遠野物語

柳田國男が明治43年(1910年)に発表した説話集。

岩手県遠野町(現・遠野市)出身の小説家の佐々木喜善によって語られた、遠野盆地~遠野街道に纏わる民話を、柳田が筆記と編纂をして自費出版したもの。


その内容は天狗河童座敷童など妖怪に纏わるものから、山人山男山女サムトの婆がこれに当たる。)、マヨヒガ神隠し死者などに関する怪談、さらには祀られる、そして行事など多岐に渡る。


関連タグ

学者 研究者 民俗学

民話 遠野物語 妖怪

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました