概要
1875年(明治8年)7月31日に兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)に儒者で医師の松岡操、たけ夫婦の6男として生まれる。
1901年(明治34年)5月に柳田家の養嗣子になる。養父直平(旧・飯田藩士 / あの、飯田線の飯田。咲の風越女子高がある)は大審院判事。近くの寺の子供を殺す母親の絵馬を見て、一生もののトラウマになった。
日本民俗学の黎明を告げた名著となった。「座敷童」や「マヨヒガ」など、一般的にも知られるような怪異をまとめたものである。
官僚の人で農政に骨を折ったが、民俗学においては民衆の目線で、「本に書かれた歴史は官吏の書いたものであるから信用できない」というスタンスをとった。
1962年(昭和37年)8月8日に、心臓衰弱のため自宅で死去、享年87歳。
遠野物語
柳田國男が明治43年(1910年)に発表した説話集。
岩手県遠野町(現・遠野市)出身の小説家の佐々木喜善によって語られた、遠野盆地~遠野街道に纏わる民話を、柳田が筆記と編纂をして自費出版したもの。
その内容は天狗、河童、座敷童など妖怪に纏わるものから、山人(山男や山女、サムトの婆がこれに当たる。)、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神、そして行事など多岐に渡る。