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すぎやまこういちの編集履歴

2016-10-12 09:31:32 バージョン

すぎやまこういち

すぎやまこういち

作曲家。CM音楽・歌謡曲・アニメソング・ゲーム音楽界の大家である。

作曲家。本名椙山浩一。


昭和6年(1931年)4月11日生まれ、O型。東京都出身。強硬な保守思想の持ち主であり、政治的活動もしている。著作権保護の取り組みにも熱心である。


経歴

東京大学教育学部教育心理学科卒業。


若い頃から音楽好きで学生時代から作曲をしていたが、そのキャリアの出発点は作曲家ではなく、放送ディレクターとしてでであった。大学卒業後、文化放送に入社。報道部へ配属、番組で使用する曲の選定等を担当。のちに希望であった芸能部に勤務。


1958年、これからはテレビの時代と感じ開局前年のフジテレビへ移籍。ディレクターとしての仕事をつとめるかたわら副業としてCMソングの作曲を手がけていたことが問題視されて退職、フリーディレクター時代を経て、1968年から本格的に作曲家専業となった。多くの歌謡曲、競馬場のファンファーレを手がけ、ヒット曲も多い。


1978年、『科学忍者隊ガッチャマン』の音楽を担当し、これをきっかけにアニメ作品のBGMを手がけるようになる。

このガッチャマンでは曲の使われ方が酷かったという理由で一つの楽曲を買い戻している。

後に『ドラゴンクエストⅥ』で使われる事となる『時の子守唄』がソレである。


ドラゴンクエスト』シリーズをはじめゲーム音楽家としても名高いが、ドラクエの音楽を手がけた時点ですぎやまは既に押しも押されもせぬ有名作曲家であった。

当時ファミコンは3音源しか使えないと言う制約があったが、

「音源が少ないから作曲できないなんていうのはプロではない」と言い切ったという。

1986年当時54歳のベテラン作曲家のすぎやまが、若者の娯楽にすぎず、文化として認められていなかったコンピュータゲームの地位向上に果たした役割は大きい。

後に若者に気取らずにオーケストラを視聴する機会を持ってもらいたい、とのことから

渋谷公会堂で自ら指揮棒を振るってNHK交響楽団を率いたドラゴンクエストコンサートをはじめ

各地でゲームミュージックのオーケストラ演奏会を行っていた。


JASRAC等にも影響を与えており、著作権保護に関しても姿勢を持っている。


参加作品

アニメ


特撮


ゲーム


楽曲提供


逸話

日本愛国者として有名であり、以下ようなエピソードがある。

  • 2006年11月19日に、東京の日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪共謀罪憲法改悪緊急市民集会」における、永六輔の言動を、「そうですか。まだ(永らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」と憤慨した。
  • それだけでなく同じく永六輔が、 童謡七つの子』など野口雨情の名作を根拠もなく「強制連行された朝鮮人の歌」などといったことに関しても激怒。またasahiru辞書のメインテーマの 「アサヒる」という言葉を取り上げた(「アサヒる」とは、朝日新聞が捏造・隠蔽を行ってまで日本批判報道をすることに対し皮肉った蔑称であり、すぎやま氏が語源ではないかという説もある)

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