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ノースカロライナ級の編集履歴

2017-06-13 17:40:03 バージョン

ノースカロライナ級

のーすかろらいなきゅう

アメリカ海軍の戦艦。

概要

アメリカ海軍がワシントン軍縮条約明けに建造した基準排水量35000トンの新戦艦。


アメリカ海軍は広大な太平洋を戦場とした作戦を可能とするため、速力よりも航続力を重視する傾向にあり、それまでの戦艦の最大速度は21~23kt程度だったが、フッドレナウン級金剛型ダンケルク級などに対抗可能な速力を付与すべきと意見が出されており、また、技術の発達により高出力と低燃費を両立可能な機関を製造できるようになったため、十分な航続力と高速力を兼ね備えた戦艦として設計された。

数々の新機軸が採用され、性能および艦容はコロラド級以前とは隔絶したものであった。


兵装

主砲

Mk.6 45口径16インチ砲を三連装砲塔3基(前部2基、後部1基)、計9門搭載した。

第二次ロンドン軍縮条約による武装制限の影響で、設計当初はテネシー級と同じ50口径14インチ砲を搭載する計画だったが、アメリカは日本の条約破棄を見越してエスカレーター条項発効後の16インチ砲換装案を考慮し、14インチ四連装砲塔と16インチ三連装砲塔に互換性を持たせていた。

16インチ砲は初代サウスダコタ級戦艦(ダニエルズ・プラン)の50口径砲を流用する予定だったが、武装重量削減のためコロラド級の45口径砲を軽量化した新型砲身「Mark6」となった。新型砲身は1200㎏のSHS(スーパーヘビーシェル)に対応し、次級(サウスダコタ級)にも搭載された。


副武装

38口径5インチ両用砲を装備した。米戦艦として初めての採用であり、副砲と高角砲が統合され武装重量の削減や兵装配置の効率化に役立った。

当初は12.7㎜と28㎜の対空機銃を装備したが第二次大戦中には旧態化しており、20㎜機関砲(エリコンFF)や40㎜機関砲(ボフォース)に更新された、

戦後に練習艦となったノースカロライナでは、性能の陳腐化に伴い対空装備の多くが撤去された。


観測装備

砲射撃管制装置(Gun Fire Control System)として、主砲用のMk.38と両用砲用のMk.37を採用した。また、司令塔と主砲塔にMk.48光学測距儀を搭載した。

対空捜索レーダーとしてSKが搭載された他、GFCSにはMk.4射撃管制レーダー(FCR)が組み込まれていた。

1942年以降の改修でMk.38のFCRがMk.4からMk.3、次いでMk.8に更新された他、Mk.37のFCRをMk.4からMk.12と高度測定レーダーMk.22に換装。対水上捜索レーダーSGを追加し、対空捜索レーダーSKはSK-2に更新された。


航空機

航空機運用設備は艦尾にまとめられ、揚収クレーン1基とカタパルト2基を装備する。

OS2Uキングフィッシャー水上偵察機3機が運用され、艦尾の格納庫内に収められた。


艦体

船体形状

米戦艦としてはニューヨーク級以来となる平甲板型で、凌波性確保のため船首に強めのシアを設け、艦首形状をバルバスバウとした。

艦幅はパナマ運河の通行制限(パナマックス)ぎりぎりの33mにまで拡大され、2枚のスケグ(舵の前に固定された整流板)により、乱流発生による推進効率の低下と、雷爆撃の被害局限を図っている。就役直後にスケグの装着によるものとみられる高速運転時の異常振動問題が発生し、スケグの取り付け位置変更や形状の改良などが行われたが、抜本的な解決には至らなかった。


ノースカロライナ級の船体形状はその後のアメリカ戦艦の基礎となり、集中防御の徹底(サウスダコタ級)や速力性能の向上(アイオワ級)といったコンセプトにあわせて全長が調節された。


機関

4軸推進艦で、重油専用ボイラー8基にギヤードタービン4基を搭載し、ボイラー2基とタービン1基を1セットとして2セットずつを前後に分散するシフト配置。

機関出力は前級比4倍近い12万7千馬力で、最高速28ktを発揮可能ながら、航続能力は巡航速度15ktで15000海里(約28000㎞)と航続距離・経済速力の両面で改装後の旧式戦艦並みの水準を確保した。

しかし上述の振動問題があったため、実用上の最大速度は抑えられていた。


防御

テネシー級で採用された多層式防御を踏襲しつつ水平防御を拡充し、垂直防御に傾斜装甲を配置するなど、耐弾防御の強化に努めた。しかし、装甲防御はロンドン条約の制限に基づく14インチ砲対応となっており、防御力に不安を残した。

このため3番艦以降の4隻は16インチ砲対応防御に改設計することになり、サウスダコタ級となった。


艦橋

従来のアメリカ戦艦と異なる塔型艦橋となった。高所に設置する有人の密閉式見張り所を廃止したため、射撃管制装置や索敵装備を載せるコンパクトな火器管制塔と、装甲司令塔とともに低くまとめられた艦橋設備とに纏められた。

これには低重心化や被害の局限などのメリットがあるが、見張り所を廃止する事は先駆的な設計思想であり、同世代の戦艦としては珍しい。


艦歴

ノースカロライナ→ 1937年10月27日起工、1941年4月9日就役。

ワシントン→ 1938年6月14日起工、1941年5月15日就役。


当初は振動問題の対処に忙殺されたが、1941年末までに調整を完了した。

1942年、ノースカロライナが太平洋方面、ワシントンが大西洋方面に回航されて活動を開始した。


ワシントンのイギリス派遣

ワシントンは1942年4月にイギリス艦隊の指揮下に編入された。北海やバルト海での船団護衛に従事し、ティルピッツの襲撃に備えたが、ティルピッツはノルウェーのフィヨルドに引きこもって動かず、同年7月には米本土へ帰還・改装工事を実施した。


ソロモン諸島での戦い

1942年より太平洋方面に配備されたノースカロライナとワシントンは、ソロモン諸島をめぐる戦いに従事し、ノースカロライナは第二次ソロモン海戦、ワシントンは南太平洋海戦第三次ソロモン海戦に参加した。


第三次ソロモン海戦で、ワシントンは日本海軍の戦艦霧島と交戦し、多数の命中弾を与え、霧島は総員退去後沈没した。


9月、日本海軍の潜水艦伊19が船団護衛中の空母ワスプを撃沈した際、外れた魚雷が10km先を航行していたノースカロライナに偶然命中し、復帰まで3ヶ月もかかる損傷となった。


中部太平洋の戦い~終戦

1943年以降、ノースカロライナとワシントンはギルバート諸島やマーシャル諸島、パラオ諸島の攻略に参加して機動部隊の護衛や対地火力支援を行った。


1944年はマリアナ沖海戦、フィリピン攻略作戦、レイテ沖海戦に従事。


1945年は沖縄や小笠原諸島などでの火力支援、機動部隊の護衛を務め、8月の終戦を迎えた。


戦後

戦後は復員兵の輸送及び占領軍の支援任務に就き、ノースカロライナはその後、練習艦として運用された。

2隻とも1947年6月27日に退役。以後は予備役艦として保存されたが、1960年6月1日にアメリカ海軍から除籍。


1961年5月24日、ワシントンはスクラップとして売却された。


ノースカロライナは1962年4月29日よりノースカロライナ州ウィルミントンにて「戦艦ノースカロライナ号博物館」として公開されている。


同型艦

ノースカロライナ USS BB-55 North Carolina

ワシントン USS BB-56 Washington


関連タグ

アメリカ海軍 戦艦 高速戦艦 前級初代サウスダコタ級戦艦 次級サウスダコタ級戦艦


外部リンク

Wikipedia-ノースカロライナ級戦艦

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