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フレッチャー級の編集履歴

2017-10-06 22:07:50 バージョン

フレッチャー級

ふれっちゃーきゅう

1942年から1944年にかけて建造されたアメリカ海軍の駆逐艦の艦級

第二次世界大戦中に製造されたアメリカ海軍駆逐艦の艦級。一番艦の艦名はフランク・F・フレッチャー海軍大将から。


カサブランカ級護衛空母ガトー級潜水艦リバティ輸送船などと共に、アメリカの戦時量産艦艇の代表で、同型艦は175隻で史上最多の駆逐艦である。この数は、大日本帝国海軍第二次世界大戦時に所有していた駆逐艦(開戦時の111隻と戦争中竣工の63隻:計174隻)よりも多い。


特徴

日本が1936年1月15日にワシントン海軍軍縮条約ロンドン海軍軍縮条約から脱退した後、アメリカ海軍で量産した駆逐艦はベンソン級グリーブス級ブリストル級だったが、これらは軍縮条約を引きずっていた(日本の朝潮型駆逐艦は1937年より竣工)。

1942年から軍縮条約の影響を脱した2,000t級の駆逐艦、フレッチャー級の竣工が始まる。


兵装

Mk.12 5インチ両用砲(単装5基5門)が採用され、対空射撃レーダーを組み込んだGFCSが装備された。太平洋戦争時には1.1インチ対空機銃ボフォース40mm連装機関砲ブローニングM2 12.7mm機銃をエリコンSS 20mm機関砲に更新している。

イギリスの技術協力によりヘッジホッグ対潜迫撃砲が装備され、対潜能力も高い。

533mm 5連装発射管(2基)を備え、Mk15魚雷を使用した。日本海軍の駆逐艦より雷装は控えめである。


機関

隔壁を設け主機を分離した、2基2軸のシフト配置方式により生存性を高めている。(スペースが余分に必要なため、日本では松型駆逐艦以外採用されなかった)


船体

電気溶接を多用して建造された。

前級までの長船首楼型から、一面にフラット平甲板型が採用された。航海性能をやや犠牲にして強度を追求した設計になっている。船体の大きさに余裕があったため、運用に問題は無かった。


戦後

第二次世界大戦が終結すると、過剰になったフレッチャー級は各国に貸与、あるいは売却された。その中にはギリシャブラジルが含まれ、メキシコでは21世紀まで使用された。

日本の海上自衛隊にも貸与され、「ありあけ(ヘイウッド・L・エドワーズ)」「ゆうぐれ(リチャード・P・リアリー)」が1970年代まで訓練、試験などに利用された。


次級

フレッチャー級の次級として1944年よりアレン・M・サムナー級が就役を始めた。

ほぼ変わらぬ船体で兵装の搭載が20%以上アップしたため、復元性や速力に問題が出て、解決されたのは更に次級のギアリング級であった。


コブラ台風

1944年12月18日、コブラ台風により船が揺れ給油不可能となったフレッチャー級駆逐艦スペンスは、空の燃料タンクのせいで不安定になり沈没した。これを例にあげ復元性が悪かったとされる事があるが、燃料タンクが空になっていなかった他のフレッチャー級は問題なくコブラ台風を乗り切っている。

最低気圧が907hPa以下、最大風速65m/s(第四艦隊事件時の台風の2倍以上)の記録的な台風であった事も勘案すべきであろう。

乗員はフレッチャー級の航海性能を高く評価していた。


余談

珊瑚海海戦ミッドウェー海戦において第17任務部隊(旗艦ヨークタウン)を率いたフランク・J・フレッチャー少将(当時)は、フランク・F・フレッチャーのである。


関連タグ

アメリカ海軍 駆逐艦 量産型

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