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エクセターの編集履歴

2017-11-09 13:54:49 バージョン

エクセター

えくせたー

地名、侯爵位、艦船名、キャラクター名など。

曖昧さ回避


エクセター市

イングランド南西部の都市。デヴォン州の州都(カウンシル)で、エクセ川下流域にある。人口129,800人(2016年現在)。

西暦55年に古代ローマ帝国軍の築いたイスカ砦を起源とし、サクソン人時代にはエスカンスマスターと呼ばれた。

1112年に着工し、1350年頃に現在姿となった、ゴシック様式のエクセター大聖堂は、現在、エクセター教区の主教座聖堂である。

16世紀にエクセター運河が開削されて川港都市として栄え、18世紀には毛織物の輸出港として最盛期を迎えた。

中心部は古代ローマ時代の城壁跡に囲まれ、18世紀の商館や家屋が残されている。


ヨーク級重巡洋艦2番艦「エクセター」

艦名はイングランドのエクセター市に因む。イギリス海軍における最後の重巡洋艦となった。

ワシントン海軍軍縮条約を遵守して排水量は1万トンに抑えられ、前級より砲塔を1基減らし、その分を装甲の強化に充てている。


1928年8月1日起工、1929年7月18日進水、1931年7月27日就役。

第2巡洋艦戦隊に配属された。

1935年、アビシニア危機に際し、イタリアとの戦争に備えてマルタ島に配備された。


1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発。

10月、南アメリカで通商破壊艦の捜索を行うG部隊に配属された。

12月13日、G部隊がウルグアイ沖でドイツ海軍装甲艦グラーフ・シュペー」と交戦(ラプラタ沖海戦)。「エクセター」に「グラーフ・シュペー」の砲撃が集中して大破。離脱してポートスタンリーフォークランド諸島)へ向かう。

12月14日、G部隊との交戦で大きく損傷した「グラーフ・シュペー」はモンテビデオ(ウルグアイ)に入港するが、72時間以内の退去が求められた。軽巡洋艦「エイジャックス」、「アキリーズ」がラプラタ川河口を封鎖。

12月17日、「グラーフ・シュペー」はモンテビデオを出港し、自沈。

1940年2月、デボンポートで修理を受ける。


1941年3月10日、修理が完了して再就役。大西洋で船団護衛に当たる。

1941年12月7日、日本海軍真珠湾攻撃

1942年1月13日、シンガポールに到着。東洋艦隊に配属される。東インド諸島で船団護衛に当たる。

2月15日、ABDA(オーストラリア、イギリス、オランダ、アメリカ)連合艦隊に加わり、日本軍輸送船団の攻撃に向かうが日本海軍基地航空隊の空襲を受け、エアカバーが無いため引き返す。

2月27日、ABDA連合艦隊が日本海軍第五戦隊第二水雷戦隊第四水雷戦隊と交戦(スラバヤ沖海戦)。缶室を損傷しスラバヤへ後退。

2月28日、セイロンへの回航を命じられ、スラバヤを出港。

3月1日、ジャワ海で日本海軍第五戦隊と交戦し沈没。

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