概要
荷物を輸送するための鉄道車両。国鉄式記号では「ニ」が割り当てられている。
元は旅客の手荷物を輸送するためにできたため、貨車ではなく客車として扱われる。
無動力の客車だけでなく、電車や気動車も造られた。また、新しく作られたものの他、旅客輸送に使わなくなった旅客車から改造されたものも存在した。日本では鉄道小荷物がほぼ全廃された1998年以降専用の荷物車は存在せず、1両で運行できる荷物電車は通常の旅客車に改造された例も存在する。
郵便車との合造車も多く、「クモユニ143」や「スユニ50」といった形式も存在した。
荷物輸送
基本的に小包などの個人の(或いは個人宛の)荷物や、新聞や雑誌などの全体数は多くとも宛先1箇所あたりの輸送量が少ない物品を輸送した。
同じく人ではなく物品を運ぶ車両に貨車が存在するが、貨車の場合は、基本的に1両毎に1つの行き先が設定されているため、ある駅から別の駅に物品を輸送する際には、貨車を貸し切るか、或いは発駅と着駅が同じという者同士で相乗りさせるより他はなく、個人や小規模企業のレベルで利用するのは大変な手間と時間が必要であった。貨車よりやや小型のコンテナ(5トンコンテナ)もあったが、こちらも個人で使い勝手が良いとは言えなかった。
対して荷物輸送は、顧客から預かった荷物ごとに宛先を指定できたため個人でも使いやすく、小規模の輸送に向いており、道路網の整備と民間の運送業者が発展するまでは大きなシェアを誇っていた。
荷物車による荷物輸送は、基本的に個人などに対して鉄道会社が荷物を募集する形態で、ある程度以上の有人駅であれば取り扱いができたため、日本全国津々浦々で行われた。
今風に言えば駅を窓口とした宅配便のようなシステムである。
特に、幹線道路の整備が充分に進んでいない地域では、郵便物や物品のやりとりは鉄道に頼るほか無かった。
また、国鉄時代の貨物列車の多くは操車場を経由していたため、荷主に対して到着日時が保証できないという問題を抱えていた。一方で、荷物輸送の場合は旅客列車に連結した荷物車を用いたり、或いは荷物車で組成された列車を旅客列車(と同等の列車)として運転していたため、到着日時は貨車を使用した場合と比べると確実性があった。このため、新聞や雑誌などの書籍類のみならず、映画用フィルムや輸血用血液など、指定の日時までに到着させる必要がある物品は荷物車を使って運ばれていた。
寝台特急(ブルートレイン)の電源車に併設された荷物室を使った「ブルートレイン便」は、新聞(朝刊)の輸送に重宝された。これは、配達日の前夜に列車に積み込んで目的地到着が配達日早朝となる列車を選べばかなり遠距離まで効率的に運ぶことができたためである。
斜陽化
しかしながら、高速道路網や地方の道路整備が進んだ1970年代半ばになると、ヤマト運輸を始めとしたトラック事業者が個人向けの小口輸送を開始することで陰りが見え始める。個人宅で荷物の集配ができる利便性(一応国鉄利用でも、追加料金で個人宅まで配達は出来た)、また配達までの日数も地域によっては鉄道利用よりはるかに早く、さらに営業エリアも年々拡大していったため、国鉄の小荷物輸送の優位性が失われるようになる。国鉄も鉄道輸送の末端部をトラック輸送に切り替えるなどの合理化を進めたが、年々輸送実績は悪化する一方だった。
国鉄改革が本格化した1982年度以降になると、国鉄の小荷物輸送そのものが不採算事業として縮小・廃止の方針が決まり、当然ながら荷物車(及び郵便車)の新製・改造も打ち切られることになった。さらに鉄道と共に歩んできた鉄道郵便も、1984年には車内で郵便物の仕分けを行う「扱い便」を廃止するなど、合理化や縮小が続いた。
そして1986年10月末をもって、新聞輸送など一部の例外を除いて基本的に全廃される。
その際に大量の荷物車が余剰化したが、カートレインや救援車として利用されたものを除き、JRに継承されることなくそのまま廃車になってしまった。(老朽車置き換えのタイミングで大量に新車が投入されたため、製造後4~5年で用途を喪失して処分された車も少なくなかった)
専用車両を用いた専用列車はこの時にほぼ廃止されたが、当時道路状況があまりにも悪かった外房・内房地区向けの新聞輸送列車は1998年まで残った。
また現在も一般の列車の一部を仕切る形での新聞輸送が、細々ながら各地で続けられている。
構造
荷物車は旅客車を基に製造され、貨車と違って人(掛員)を荷室に乗せて走行できる構造である。
これは、走行中に掛員が車内で積み込まれた荷物を行き先別に仕分けたり、必要な書類を作成する作業などを行うためで、照明、換気設備、執務机、暖房といった乗務に必要な設備が備わっている。
窓は客車などとと違って必要最低限であるが、前述のとおり乗務する掛員の為に一応備わっている。国鉄の荷物車の窓には内側に鉄格子が備わっているが、これは防犯上の理由もさることながら、荷崩れが起きた時に窓ガラスを割らないためでもあるとか。
但し、現金を運んでいたマニ30の荷室は防犯上の理由で、後述のパレット荷役専用車の荷室は掛員が乗務しないため窓は存在しない。
合造車
車両に複数の設備がある合造車には、荷室と客室などの荷室以外の設備を備えた車輌も存在した。荷物車の合造車は、多くが荷物室(+郵便室)と客室という構成でローカル線や地方幹線など輸送単位が少ない路線向けに製造されたが、国鉄では後述の通り旅客輸送と荷物輸送を分離させる施策のために、少なからぬ数が純粋な荷物車に改造された。
私鉄でも、地方私鉄や軽便鉄道などでこの手の車両が多く用いられた。
また、20系客車のマニ20や24系客車のカニ24などの「荷室のある電源車」も合造車であると言える。
パレット荷役
国鉄末期には、大都市間の長距離荷物列車を中心にパレット荷役が用いられるようになった。
これは、あらかじめ駅で行き先別に細かく仕分けを行い、取扱数が多い行き先ごとに荷物を纏めてパレット(ロールボックスパレット)と呼ばれた大型の格子状の囲いがついた台車に載せて荷物車に積み込むもので、仕分けと荷役作業の大幅な効率化が図られた。
パレット荷役の場合、車内で作業する必要が無いため、特に事情がある場合を除いて荷室に掛員を乗せない「締切車」として運転された。
これまで使用されていた車両は、荷室の床がすのこ状でパレットを使用することができないため、パレット荷役専用車がとして事実上の有蓋貨車であるスニ40形(≒ワキ8000)や、有蓋貨車に乗務員室を追加したような格好のマニ44などが開発された。他に、従来の荷物車の床を改造してパレット荷役対応車とすることも多かった。
運用と編成
荷物車の運用は旅客列車に併結される場合と、荷物列車として荷物車(と郵便車)で編成を組み、客扱いを行わない場合がある。
特に荷物列車としての運用は非常に複雑であり、連結される列車とその連結区間はもちろんその位置や入換の手順、担当する乗務員の運用も細かく決められていた。
荷物車自体も目的地までの間複数の列車に連結され、四国や北海道に渡る場合当然のことながら鉄道連絡船で航送する必要があった。そのため遠方の目的地まで3~4日かかる場合もあり、後にトラックや航空機、さらにフェリーを駆使した宅配便に対して時間的な劣勢を強いられることになった。
元々は乗客の手荷物を保管する車両として登場したため、荷物車は基本的に旅客列車に連結された。しかしながら荷物の取扱量が増加すると荷役のための停車時間の増加が問題になる。そのため特に荷物扱いが多い路線では荷物車による専用列車が運転されるようになる。(国鉄では1929年に東京~大阪間で設定されたものが最古とされる)
戦後しばらくは戦前の輸送システムが継承されてきたが、1950年代後半になると旅客輸送の高速化や荷物輸送の効率化の観点、また動力近代化の影響から客荷分離が進められるようになる。(その頃半室荷物車を全室荷物車に改造する工事が大量に行われた)
主な荷物車
(Pixiv百科事典に項目がある車両優先)
客車
マニ36 マニ60
電車
クモニ83