総論
原義はウィキペディア用語で、「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないもの」のこと。
転じて、インターネット百科事典に記載された情報のうち、編集者の個人的な解釈や独自の調査によって書かれたツッコミ不在の記述のことを指す。編集者個人の体験、取材、推測、伝聞から導き出された情報などがあげられ、しばしば編集者個人の主観が反映している。
独自研究の中にはソースがなくとも自明なもの、ないしは記述の根拠が明示されていなくても記事内容から推測できるものもあるが、噂や憶測を根拠にしたもの、編者の偏見や妄想から来ているものもある。「主観の混じった独自研究=駄記事」とは必ずしも言えず、読み物や評論としては面白いものもある。
ウィキペディアにおける独自研究
「中立的な観点」・「検証可能性」と並ぶウィキペディアの「3つの方針」の一つ「独自研究は載せない」で示された概念。
編集者の個人的な持論を発表することを阻止し中立性を担保するために設けられた基準であり、「独自研究」と認定されるのは次のような基準である。
- 新しい未発表の理論や解決法を加筆する。
- オリジナルのアイデアを加筆する。
- 新しい用語を定義する。
- 既存の用語に新たな定義を与える。
- 他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。
- 編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。
- 新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。
よって、編集者自身が直接取材した記事や、新概念を提示した評論などは、ルポルタージュや論文としてどんなに優れていたとしても、第三者によって定義された根拠として立証されていなければ、基本的に受け入れられないものとされている。
「ウィキペディアから排除されたからといって、それが「品質の劣る」ものであるとは必ずしも限りません」
アンサイクロペディアにおける独自研究
アンサイクロペディアのテンプレートによると、「笑いを取るためには自分のアイデアを記事に注ぎ込む事が不可欠です」としており、自己言及的にならない程度の独自研究が求められる。むしろ独自研究の一切ない記事を投稿した場合、「ユーモア欠落症患者」の烙印を押されて削除されかねない。
ニコニコ大百科における独自研究
ニコニコ大百科の初代開発者の見解によると、同サイトでは独自研究が歓迎されている。
ニコニコ大百科全体がウィキペディアのような客観性を前提としてはおらず、「ニコニコ大百科は演説をする場所でもあります」、「自分自身の記事をつくれます」とのことであり、実際に多くのユーザーがニコ百のページを使って独自見解を開陳している。
ただし、内容によっては該当部分を削除されたり、あるいは書き換えられることもある。また記事付属の掲示板の中でそれに対する指摘および批判がなされることもあり、他の編集者によってその部分の書き直しを要求されることも多い。
特に根拠も脈絡もない情報、あるいは編集者の感情をあからさまに出した文章を加筆すると「気持ち悪い文章」との烙印を押され、時に編集者自身が批判の対象になることもある。独自研究に基づく記述にはそれなりに慎重になるに越したことはない。
ピクシブ百科事典における独自研究
ピクシブ百科事典でもニコ百同様、個人的意見の発表は禁止されておらず、情報源を示さずにオリジナルの見解を披露した記事は多い。ニコ百以上に主観的な記述に寛容であり、ニコ百であれば「気持ち悪い文章」呼ばわりされるようなファンの思い入れを込めた記述が多く見られる。時にはウィキペディアなど他のサイトで削除された独自研究がピク百に転載されている場合もある。
一方でそのような現状を好ましくないと考えるユーザーもおり、一部のユーザーが自分の気に入らない文章や記事を削除・白紙化する名目として多用する。特に、ネガティブなアンチじみた情報の記載などは荒れやすく、独自研究に当たる記述には相応の分別が必要であることに変わりはない。
また、ピク百はPixivに投稿された作品につけられたタグの解説サイトという性格があるため、「作品タグとして使われてもいない、編集者が独自に考えた用語の記事」を立てるのは歓迎されない。ニコ百と違い「自演記事はインターネット百科事典にふさわしくない」とする風潮が強いので、自作イラストでしか使われてないようなタグで記事を立てる行為も、避けた方が無難である(もっとも規約上の禁止行為ではないので、消されずに残されている自演記事も多い)。