概要
プロフィール
誕生日 | 2月27日 |
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身長 | 140cm |
体重 | 微増(でも気にしない) |
スリーサイズ | B74・W51・H73 |
CV:首藤志奈
いつでも連戦連敗……。才能はないが、決してくじけないウマ娘。故郷の高知で走っていたが、mもっとワクワクしたいと思い、トレセン学園転入を目指す。試験はボロボロだが、持ち前の明るさで面接入学を果たした。
ウマ娘たちを元気づける愛されムードメーカー。
キャラクター
明るい性格で友達が多く、よく手伝いに行く商店街の人々にとってのアイドルとなっている。
彼女の特徴として負けても1位の時と同様に観客に笑顔でアピールするというものがある。勝てなくてもへこたれず常に笑顔で一生懸命に走り続ける彼女らしい特徴である。最下位だろうが、あまりに明るく楽しそうに完走するものなので、それが魅力となりファンや観客を引きつけるのだとか。
そして友達付き合いも非常に良好であり、悲観がちになりがちなライスシャワーと親しい。→ウラライス
ちなみにキングヘイローとルームメイトだったりする。
とある者の調査によると、「雰囲気(ふんいき)」と正しく言えないらしい。
外見、服装
ポニーテールに結ったピンク髪が特徴。
ウマ娘の髪の色はモデルになった馬の毛色に由来するものが多いが、彼女は「ハルウララ」の「春」に由来している。また、よく見ると瞳の虹彩が桜の形になっている。
地方競馬では馬主ごとの勝負服が無い(勝負服は騎手ごとにある)からか、勝負服は体操着になっている。
両脚に絆創膏が何個も貼られているが、元のハルウララは裂蹄(れってい。蹄が割れて亀裂が入ってしまうこと)の後遺症に悩まされていた事に由来する様で、中々勝てない理由もそれが原因だったと言われている。
私服も用意されており、そちらは袖と襟が白でそれ以外が桜色のかわいらしいブラウスと、デニム生地と思われる青色のショート丈オーバーオールを着用する。
また、胸元にはピンク色、ベルト通しには黄色のリボンが結ばれており、ブラウスの襟には桜の花をかたどった刺繡が施されている。
アニメ
第一話から登場。教室に入ってきたスペシャルウィークに最初に声をかけてきてクラスメイトを紹介するが、実はC組所属ではなくB組所属。
ちなみに、スペシャルウィークの愛称「スペちゃん」の名付け親でもある。
スペシャルウィークと共にチームリギルの入部テストを受けるも、出遅れたスペシャルウィークにスタート直後であっさり抜かれてしまい結果は最下位となった。
第四話では、高知県に遠征に行ったことが語られ、デビュー戦は5人中5位。スペシャルウィークたちにお土産を持ってきた。
第八話にも少しだけだが登場している。
第十二話ではジャパンカップに出走するスペシャルウィークの待合室前にお土産(かつおフレーク)を持って現れた。
ジャパンカップ本番ではセイウンスカイ・キングヘイローと一緒にスペシャルウィークを応援した。
EXTRA.Rでもセイウンスカイ・キングヘイローと共にWDTに出走するスペシャルウィークを応援した。
ゲーム
史実では勝ちなしの馬ということもあり、基本的にはファン数を稼ぐ目標が多い。
現実では他の名馬と比べるのは酷なレベルだが、ゲーム性能的にはそこまで劣ったものではない。
現在唯一のダート適正A持ちであり、上記のダート短距離であるJBCスプリントでは、勝利することも難しくはない。そして、JBCスプリントを勝利すると、彼女は有馬記念の出走を果たす。
しかし、有馬記念は芝の長距離。適正とは真逆のレースという事もあり、実質的な負けイベントと化している。ただ、着順固定(つまり、どんなに頑張ってもハルウララが最下位になること)では無いため、ハルウララは普通のレースで、適正が足りないという理由で敗北したという残酷な現実を突きつけられる。
つまり、適正、ステータスを十分に上げ、スキルを充実にすれば、理論上有馬記念で勝つことも可能である。実際に勝たせたトレーナーも存在し、さらに、有馬記念で勝利した用のストーリーも用意されている。
(出走の条件さえ満たせば、次に進めるので、クリア不可能という訳では無い。)
こちらは、上記動画に、元テレビ東京アナウンサーの田口尚平が実況したもの。現実でもこんな実況を待ち望んでいた観客が何人いただろうか。
また、固有二つ名「ハルウララがんばる!」は取得条件がファン55万人獲得と、難易度が全キャラの中でもぶっちぎりで高い。
リザルトのランク最上位のレジェンドで32万、レア二つ名「みんなのウマ娘」で50万と書けばこの要求の異常さが理解できるだろうか。
得意とする短距離とダートだけではレジェンド評価に辿り着くことすら難しく、有馬記念1位は無論のこと、中距離の適正も上げてジャパンカップ、天皇賞(秋)、日本ダービー等の重賞レースも勝ち抜いて行かなければならない。
もっとも、史実を考えるとこれでも少ない方かもしれないが。
漫画『ハルウララがんばる!』
2016年4月からサイコミで連載開始。 2016年9月最終話掲載。
“AnimeJapan2016”でウマ娘プロジェクトが発表され、まず最初に始まったコンテンツ。
競走馬ハルウララ
モデルとなったハルウララ号は地方競馬である高知競馬所属の競走馬。スペシャルウィーク達より1歳年下の1996年生まれ。
生涯成績は113戦勝ちなしと「全く勝てない」という事で有名だった。臆病でわがままで飽きっぽい性格だったが、いざレースに出ると、その持ち前の負けん気でずっと走り続けていた。
その懸命な姿は全国区に知れ渡り、「負け組の星」として知られ、当時廃止寸前だった高知競馬場の危機を救った名馬となった。
テレビでも頻繁に取り上げられるようになり、100連敗を喫したときには何故か多くの観衆に祝われ、武豊が騎乗したレースの生放送では平日でありながら異常ともいえる高視聴率を記録した。
メディアが連敗で騒ぐ裏で、業界関係者からの目は冷ややかだった。負けを喜ばれることなど、馬を少しでも速く走らせるために懸命に働く人々からすれば侮辱以外の何物でもなく、武自身も騎乗後「勝利した馬より注目された」ことに関しては複雑な気持ちだったと述べている。
だがその声も純粋にハルウララの勝利を願って応援し続ける声援には負けざるを得なかった。
当時、日本はバブル経済の崩壊から復活の兆しが見えず、人々はどこか鬱屈していた空気を感じていた頃である(この空気がそのさらに10年以上も続くのは内緒)。それでも明日を夢見て日々を懸命に生きる人々には、負けてもあきらめずに走り続けるハルウララが重なって見えたのかもしれない。
武も上記のように不快感を口にしながら、一方で日本中を注目させた彼女を''名馬''と呼んだのも事実である。
また、ハルウララの単勝馬券は「当たらない」という事で、交通安全やリストラ防止の「お守り」として全国の場外馬券所でも飛ぶように売れたという(加えてヤフオクやメルカリでその馬券を出品するという現象までもが起こっており、特に2004年3月22日に武豊が騎乗した時の馬券は高額で取引されている)。
ブームの際に多くのグッズが発売されており、キーホルダーからぬいぐるみ。非売品ではあるが、素材の一部にハルウララの毛を使用したブラジャーまであった。彼女を扱った書籍も多数出版されており、児童向けの絵本まで存在する。
更には映画まで制作された(二本のうち一つはドキュメンタリーだが、なんとアメリカ制作である)。
しかし、晩年は馬主と調教師の間で対立が起こり、預けていた牧場に半ば放棄されてしまう。その後のハルウララは走ることすらなく競走馬を引退。
現在は、支援団体「春うららの会」が所有し、千葉県の牧場、マーサファームで繋養されている。
馬房には、ウマ娘のハルウララのグッズが飾られているとのこと。
また、千葉県警木更津警察署の交通安全啓発ポスターに起用され、警察署長から感謝状と人参600㎏が贈られている。
ハルウララは言ってしまえばマスコミによって無理矢理作りだされたアイドルである。
本来ならば真剣勝負である競馬の世界、いや、勝負の世界全てにおいて「負け組の星」などあってはならない。
しかし、その走りは記録されるレース結果だけでは計り知れない成果と情熱をもたらした。
走って、負けて、多くの人に愛された彼女の雄姿は、桜の季節を何度繰り返しても色褪せることはない。
ちなみに、引退した後ハルウララはこっそり勝利している。
…といってもそれはソフト競馬という本物の競馬とはかけ離れた競技だが、現役から数えて実に120戦目にしてようやく手にした初勝利であることには違いない。