概要
「頭痛が痛い」「満天の星空」などの修飾語と述語・名詞(被修飾語)の意味が重複する形である。長嶋茂雄が現役引退時のスピーチで述べた「我が巨人軍は永久に不滅です」や『機動戦士ガンダム』ED曲『永遠にアムロ』の歌詞の一部「あたたかいぬくもり(温かい温もり)の中で…」も重言である。
日本語の歌詞には言葉のリズムを重視するために、重言を使った邦楽が多い。洋楽におけるライムとほぼ同じ感覚で使われているものと考えられる。意味を強調するため意図的に使われることもある。
重言は使うことがあまり好ましくないとされている例が多く、多くは誤用と見なされ、即添削対象とする文筆業者、編集者や教師も多いようである。しかし重言自体が日本語として必ずしも間違っているというわけではなく、「重言か否か」と「正しい日本語か否か」はまた別の問題と捉えるべきで、言語表現、特に話し言葉においてその正誤を断言すること自体が欺瞞とも言える。
分かりにくい重言
「えんどう豆」「御嶽山」のように、語源は重言だが慣用的に重言とされない表現もある。「巨大」「重複」「表現」など類義の漢字を重ねた熟語は、通常、重言とはいわない。ただし、同じ漢字を重ねた「悠々」などの熟語を、畳語の類義語として重言ということがある。
一方で逆に「違和感を感じる」「名言を言う」のように「一見重言のようだが、文法上は重言にはならない」とされる表現もある。「違和感を感じる」を重言=誤った日本語と即断し、「違和を感じる」と言う表現を錬成してしまう人もいるようだが、むしろこちらのほうが重言であるとの指摘もある(言い換えるなら「違和感がある」「違和感を覚える」などの方が適切)。もっとも、「歌を歌う」「踊りを踊る」のような表現は文法的には間違いでなくても稚拙に感じるので、プロの文筆家はこのような表現を避ける人が多いようである。
「後で後悔する」「被害を被る」などは、文字表記すればあからさまに重言とわかるものの、話し言葉では音訓の違いゆえに気づかずについ言ってしまいがちな表現である。
また「排気ガス」「ハイテク技術」のように同義の外来語に気づかず、重ねられたまま日本語化するケースも多々ある。「ハングル文字」「クーポン券」「サルサソース」など英語以外が絡むとその可能性はさらに上昇し、きりが無いほど慣用化された重言が存在する。
省略語と外国語が絡んで、より複雑になる例もある。「スラップ訴訟」はSLAPPが"Strategic Lawsuit Against Public Participation"の略で"Lawsuit"すなわち「訴訟」が含まれるので重言とか、「SEO対策」はSEOが"Search Engine Optimization"(検索エンジン最適化)の略で、最適化という対策法が入っているから、重言あるいはSEOと逆の意味(Googleで低品質のページの検索順位を下げるパンダアップデートなど)になるという指摘もある。知らんがな。こういう単語はウィキペディアで調べると、その気風から法的に正しい表現で立項されている場合が多いので、参考になる。
重言?
「きつねうどん」のように、地域によって正誤の差が出る場合もある(Wikipedia「きつね」)。
言葉の意味の変化とともに重言、二重表現とされなくなってきた例もある。かつては重言の代表格とされていた「投網を投げる」が、「投網」という種類の網を投げると解釈され、許容される場合がある。
極論、典型例とされる「馬から落馬する」も重言にならない状況もありうる。馬以外で驢馬、ラクダ、象、ダチョウ、竜などに騎乗する場合、その鞍上から落下することは「落馬する」が重言とはいい難い状況になる(通常は「象の背中から転落する」「驢馬から落ちる」などと表現するわけだが)。「竜から落馬」は現実ではなかなか無い状況だが、様々な騎獣が登場するファンタジーな世界観ならあり得るのでは…?