ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
編集者:高宮 毅彦
編集内容:一場事件を追加

ドラフト会議

どらふとかいぎ

複数のチームが存在する集団競技のプロスポーツにおいて新人選手を振り分ける為の会議。一般的には「日本プロ野球におけるドラフト会議」が知られている。

日本プロ野球(NPB)におけるドラフト会議

1965年から始まった日本プロ野球の新人選手を指名するための会議で、毎年シーズンが終了した10月から11月の時期にて行われる。

指名の様子はテレビやネットで生中継されており、プロ野球のシーズン終了直後に行われる名物行事として全国から注目を集めている。

ドラフト本編の放送終了後はその年の目玉と思われる選手(主に高校球児)の家族を追いかけた「お母さんありがとう」というドキュメント風バラエティ番組も組まれている。

指名の対象となるのは過去に日本のプロ野球球団に在籍した経験の無い中学校高校高等専門学校大学社会人独立リーグの選手等でなおかつ日本国籍を有している者、巨人軍陽岱鋼のように他国から留学してきた者も条件となる。

また後述のトラブルが起こった経緯から、本人にプロ入りの意思がない者は現在は対象としてはならないことになっており、2004年より「プロ志望届」制度が設けられた。

夏の全国高等学校野球選手権大会終了からドラフト会議開催直前の指定された締切日までに届けを提出した者が対象となる。

学生の場合は対象ドラフト会議後翌年3月に卒業見込みである事と、プロ志望届を各管理団体に提出している事が条件に含まれ、一般企業が運営する社会人野球の選手は高卒なら3年以上、大卒なら2年以上のキャリアがなければいけないが、企業がチームを解散若しくは休部させた場合、特例により高卒3年、大卒2年の枠を外すこともある。

独立リーグでも日本独立リーグ野球機構(IPBL)所属リーグの選手は1年目から指名できるが、非加盟の関西独立リーグやIPBL加盟球団でもプロ志望届を出さずに入団した選手は社会人野球の選手と同じ扱いとなる。他にもアメリカメジャーリーグに在籍したオリックス・マック鈴木や日本ハム・多田野数人も指名を受けて入団している。

また、年齢層は高校3年生である17、18歳以上からということになっているが、近年では26歳が「一応の」上限となっている。とはいえあくまで「一応の」という意味であって、かつては中学を卒業したばかりの15歳の少年(阪神・辻本賢人投手)が指名されたことや、30歳で指名された選手も何人か存在している。また、5年制の高等専門学校3年次に指名(巨人・鬼屋敷正人、2009年に規約改正で指名可能に。)された選手もいる。

余談だが、学校教育法第1条に準じた学校・組織に生徒として所属していた経歴があれば、野球部に所属していなくても指名可能であり、過去には北海道日本ハムファイターズソフトボール捕手であった大嶋匠を指名し、獲得に至っている。

また、ルールの上では性別制限はないため、女性も指名可能だが、今まで女性選手を獲得に至ったNPBの球団は無い。

ルールなどは時代によって異なっており、数多くのドラマや事件がこれまで数多く生まれているが、アメリカメジャーリーグのように、新人選手選択権が前年最下位チームから一番有利に働く完全ウェーバー制ドラフトは、とある金満球団の圧力(とされる噂)のせいでまだ一度も実施されていないのが現状である。

現在行われている制度は12球団すべてが1位の選手を指名、直後にクジをひいて交渉権を確定、外れたチームは改めて1位の選手を指名、そのくり返しを12球団が1位を確定するまで行う。2位以降は下位チームからの完全ウエーバー制であり、各チームが必要とする選手がなくなるまで指名を行う。現状、総定員は決まっていないが12球団で120人というのが暗黙の了解で、その前で指名は打ち切られることとなっている。

これらの指名が終わると希望球団による育成選手の指名が行われ、これを「育成ドラフト」という。このドラフトに指名された選手は正規のドラフトとちがって1軍の試合に出場する権利がなく、育成期間の2年を過ぎると基本的に契約を打ち切られることとなり(延長あり)、2年のうちに正規の選手に登録(支配下登録)されなければならない制約がある。待遇の差はほかにもあり、育成選手には低額の支度金はあるが高額の契約金はなく(支配下から格下げになったドラフト指名選手には過去に支給されているが)、年俸も低く抑えられ、背番号も3ケタとなっている。

しかし、育成から這い上がり、支配下選手として一軍で活躍している選手(ソフトバンク・千賀滉大投手 巨人・山口鉄也投手 など)も少なからず存在する。

また、あまり知られてないが、独立リーグでもドラフト会議が行われ、各チーム毎年10人ほどが指名され、上限年齢26歳までに日本プロ野球入りを目指すことになっている。

くじ引き

1位指名は各球団が最も必要としている選手を指名するのが基本戦術だが、甲子園や大学野球で華々しい活躍を遂げたスター選手が現れると被ることも多く、毎年恒例のように交渉権をかけてくじ引きが行われている。

このくじ引きには異様な緊張感が漂っており、球団代表が一斉にくじの中身を開いて一喜一憂する姿はドラフトの名物でもある。

たまに自分の引いたくじを当たりと勘違いして喜び、大恥をかいてしまうハプニングも。裏を返せばそう錯覚してしまうくらいプレッシャーを感じる舞台なのである。

この一世一代の大勝負の為に前日からくじ運やゲン担ぎを行う球団担当者のエピソードもよく伝わっており、どちらの手で引くかやくじ選び方を真剣に会議したり、その会議で使った食事所の部屋が後に聖地として紹介されたりするなど、傍から見れば珍事のような逸話も残っている。

確実に必要な選手を獲る為あえて第一希望選手を外して第二希望選手を獲りにいく球団もある。ただし、こちらでも被ることがある。

選ばれる選手側も母校や家族と緊張しながら結果を見守っていることが多い。どの球団に行くかは彼らのプロ野球人生を大きく左右するものでもある事から、場合によっては選ばれた後インタビューで口では嬉しいと言いながらも、よく見ると複雑な表情をしている選手もいる。

中には「特定の球団以外が交渉権を獲得した場合入団を拒否する」という強硬姿勢を見せる選手もいる(例:菅野智之内海哲也、どちらも読売ジャイアンツ以外を拒否)。拒否した場合当然選出が翌年以降のドラフトにずれ込むことになるが、前回のドラフト選出時と同等以上の実績を次回指名時に保持できるかは当人次第である。

関連項目

日本プロ野球

プロ野球

ドラフト会議にて事件となった選手

江川卓工藤公康桑田真澄城島健司:それぞれドラフト会議において物議を醸した指名選手。江川の件は俗に「空白の一日」という通称で知られており、工藤、桑田、城島は大学進学予定者だったのに半ば強引に指名されて入団した経緯があり、後の制度改革への一因となっている。

荒川尭:1969年のドラフト会議にて大洋ホエールズから指名を受けたが、入団を拒否。しかし、これを不服と見た大洋ファンは荒川を襲撃。荒川は選手生命が絶たれるレベルの大怪我を負ってしまう。この事件は俗に「荒川事件」と呼ばれ、今なお、プロ野球史上最低最悪の事件として語り継がれている。

小池秀郎:1991年に、1989年の野茂英雄と並ぶ8球団競合指名、ロッテオリオンズが指名権獲得したが入団拒否。 松下電器(現パナソニック野球部)でプレーするが故障で評価を下げながら2年後近鉄バファローズから1位指名。

小林秀一:1973年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツから1位指名されるも入団拒否。この年2位・黒坂幸夫、3位・中村裕二、5位・尾西和夫も入団拒否。小林は2020年終了時点で読売ジャイアンツに1位指名されながら入団を拒否した唯一の人物である。(2位と5位の選手は後に他球団で指名され入団、3位の選手は30歳で夭折。小林については片岡鉄心(漫画「ダイヤのA」の登場人物)も参照。)

一場靖弘:2004年のドラフト会議の前に複数が彼に将来的な同選手獲得を目途として金銭を渡していたことが発覚。ほぼ内定していた読売ジャイアンツへの入団が白紙になっただけでなく、当該球団のオーナー・関係者が事件発覚後相次いで辞任した(一場事件と呼ばれる)。一場は結局この年に楽天へ自由枠で指名され、入団することとなった。

大谷翔平:2012年のドラフト会議の前に本人がMLB挑戦を希望しており、指名しても入団を拒否することを宣言していた。このためほとんどの球団が指名を諦めていたが、北海道日本ハムファイターズが単独強行指名。この前年にも前述の菅野智之を強行指名して交渉権を獲得し、入団を拒否されており、選手の意思を尊重していないとして日本ハムが非難された……のみならず、交渉の結果何と本人が日本ハム入りを決断。このため翻意した大谷自身にも非難が殺到した。現在でこそ大活躍しているが、育成に失敗した場合球団の信用失墜は免れなかったであろうと考えられる。

番外編 真中満(トップイラスト):選手ではなくヤクルト監督であるが、2015年のドラフト会議で高山俊の指名くじの際に外れを引きながら当たりと勘違いして大喜びをし、周囲も一瞬ヤクルトが交渉権を獲得したと誤認した(実際は阪神が交渉権を獲得)。

編集者:高宮 毅彦
編集内容:一場事件を追加