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人物

青道高校野球部監督であり、国語教員。

元投手、右投げ右打ち。サングラスがトレードマークの強面、30代。

CV:東地宏樹

概要

母校に恩返しをするためにプロ入りを蹴って指導者としての道を歩む。
表面上は非常に厳格で冷酷だが、実力と気迫が備わっている者はきちんと認める。
一軍に上がれなかった3年に対しても感謝と気遣いの言葉をかけるなどもしている。

遠投は100mを超え、一人で3年生相手に日が暮れるまでノックをしたり、バッティングピッチャーとして140キロ前後の球を200球近く投げるなど、身体能力は衰えていない。

また試合の際、観客からの呼びかけは選手よりも多いことがあり、観客からの人気はある。
選手と話をする際、で地面をいじる癖がある。

沢村からは「グラサン」「将軍」「ボス」と呼ばれている。

近年甲子園出場から遠ざかっているせいで、監督解雇の声が上から上がっており、秋の大会以降辞任する意を示している。

選手時代

青道高校のOBであり、入学当初は目つきが悪く敬語が使えない悪タレ小僧と評されていた。
負けん気の強い性格・闘志に惚れ込んだ当時の監督榊英二郎により1年秋よりエースナンバーを背負った。
エースの自覚が芽生えてからは習慣、態度に変化が現れ、当初反発のあった周囲の信頼を集めていく。
2年の夏には甲子園準優勝・翌年の選抜ではベスト8入りに導く。
その実績からプロからのスカウトがあったものの、自分を育ててくれた高校野球に恩返しをしたいということで断る。

余談・高校野球の指導者について。

作中でも、プロ野球に行くと高校野球の指導が困難になることを恩師の榊が少しだけ語っている。

昔は徳島県立池田高校の蔦文也(東急フライヤーズに1年)、平安高校(現・龍谷大学付属平安高等学校)の西村進一(戦前名古屋軍に在籍)等甲子園に出場、優勝経験のあるプロ野球経験者の監督がいた。
しかし1961年の「柳川事件」によってアマ・プロが断絶、プロ入りすると高校野球はおろかアマチュアの指導者になることはできなくなった。(前出の2名は事件以前に指導者になっていた。柳川事件については日本生命も参照。)
また1973年には読売ジャイアンツから愛知学院大学小林秀一がアマチュア指導者を志望していたにもかかわらずドラフト1位指名で強硬指名、入団拒否をしている。
(因みにこの年は上位3名が入団拒否。小林は社会人野球を経て母校・愛知学院大学の監督に就任、現在は監督は退いたが准教授として教壇に立っている。)
しかし1984年にプロ引退後、10年間教諭として高校に勤務したうえで適性検査に合格した者に与えられ、その後5年、2年と短縮。
2013年、高校監督の教諭歴規定を撤廃。プロ・アマ研修を3日間受ければ資格を得られる形になった。
2015年、日本独立リーグ野球機構所属リーグ(四国アイランドリーグplusとベースボール・チャレンジ・リーグ)出身者が研修受講対象に加えられる。

高校野球監督になった主な元プロ野球選手
※カッコ内の高校は監督を務めた学校。
紀藤真琴(水戸啓明高等学校)
芝草宇宙(帝京長岡高等学校)
島田直也(常総学院高等学校)
遠山奬志(浪速高等学校)※本名の「遠山昭治」名義で活動。
若林弘泰(東海大学菅生高等学校)・・・春2回、夏2回甲子園に出場。
小林昭則(帝京第五高等学校)・・・春1回、夏1回(2022年)甲子園に出場。

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