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蜘蛛の糸の編集履歴

2022-03-03 10:13:15 バージョン

蜘蛛の糸

くものいと

『蜘蛛の糸』は、芥川龍之介の短編小説。

表記ゆれ

蜘蛛糸

蜘蛛が作る糸についてはこちらの記事を参照。

概要

大正七年五月『赤い鳥』に初出。

児童文学としては芥川の処女作で、ポール・ケーラスの『カルマ』を鈴木大拙が訳した『因果の小車』に拠ったものとされる。

そのため元となっている仏教の観念の違いと、用語の意味の誤解から『カルマ』では成立していた話が『蜘蛛の糸』だと矛盾ともとれる理不尽な話に変わっている、とする意見もある。


あらすじ

ある朝のこと、御釈迦様極楽の蓮池を通して下の地獄を御覧になりますと、カンダタという男が他の罪人と一緒に蠢いている姿が御目に止まりました。カンダタは人を殺したこともある極悪人ですが、過去に一度だけ蜘蛛を踏まずに助けてやったことがあったのです。そのことを御思い出しになった御釈迦様は、この男を地獄から救い出してやろうと考え、蓮の葉の上にかかっていた蜘蛛の糸を遥か下の地獄の底へ垂らしました。


地獄で責苦にもがいていたカンダタは、天上から垂れてくる蜘蛛の糸を見ると手を拍って喜び、その糸を掴んでのぼり始めました。何万里と離れた極楽を目指すうちにくたびれたカンダタがふと下を見下しますと、数限もない罪人たちが後をつけて蟻の行列のようにのぼって参ります。それを見てカンダタは叫びました。

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」

その途端、蜘蛛の糸はカンダタのぶら下っているところからぷつりと音を立てて断れました。カンダタはあっと云う間もなく、まっさかさまに落ちてしまいました。


極楽からこの一部始終を御覧になっていた御釈迦様は、カンダタの無慈悲な心が浅間しく思われたのか、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。


余談

一見すると仏教の話らしく、独り善がりを戒めた教訓話のように思えるが、作者が作者である以上、お釈迦様がカンダタを心の底から救済しようと考えたかどうかには疑問が残る所があり、人を殺してもなんとも思わないような極悪人であったカンダタが気まぐれで蜘蛛を見逃したように、釈迦も有象無象でしかないカンダタを気まぐれで助けたのではないか?と思われる節がある。


加えて、地獄は罪人を苦しめる場所でありながら、刑期を終えた死者に輪廻転生の機会を与える場所だとされていて、カンダタには人生をやり直す機会が与えられており、転生先の現世では苦と楽を両方味わえるのに対して、釈迦は輪廻(=生の苦しみ)から解放された聖者なのでそもそもリセットをする必要性がなく、住んでいる極楽浄土は一切の苦がない『楽』に極振りした世界だとされているという立場が徹底して対になっているのも特徴。

これらを統合すると、変化がなくて退屈な世界に永遠に閉じ込められた釈迦が暇つぶしにカンダタを弄んだとも解釈できてしまう(つまり、苦しみがないはずの極楽に「退屈」という苦しみが生まれた事になり、矛盾が生じる)。

ニンジャスレイヤーで『サディスト』と評されているのはこの為だろうか。


悲しい顔をしたというのはカンダタが利他的行為に走らなかった事を哀れんだからなのか、それともカンダタが利己的行為に走る可能性が高いとわかった上で、僅かな望みに賭けていたが故の失望だったのか…それはお釈迦様のみぞ知る。


これに材を取った作品


関連項目

芥川龍之介 児童文学 寓話 童話

蜘蛛糸

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