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村田修一の編集履歴

2022-12-10 20:33:12 バージョン

村田修一

むらたしゅういち

鹿児島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。

経歴

1980年12月28日生まれ、福岡県出身。松坂世代を代表するスラッガー。

東福岡高校時代は投手だったが、日本大学入学後に打者転向した。


2002年10月のドラフト会議にて当時の横浜ベイスターズへ入団。2007年、2008年のセ・リーグ本塁打王になるなど、主軸として活躍した。

2011年オフにFA宣言し読売ジャイアンツに移籍した。その後は2017年シーズンまではジャイアンツに身を置くが、2017年はケーシー・マギーの活躍が好調で出場機会が減少。チームも若返りさせる方針にしたためオフシーズンに戦力外通告を告知された。

その後、独立リーグ「ベースボール・チャレンジリーグ(BCリーグ)」の栃木ゴールデンブレーブスへの入団が決定。NPB球団への復帰に向けて再出発することになった。

しかし、支配下登録の期限となる7月31日までにNPB球団から声がかからず、今季限りでの現役引退を決意した。


現役引退後の2019年シーズンからは読売ジャイアンツのファーム(2軍・3軍)打撃コーチを担当する。


エピソード

「動けデブ!」

ルーキーイヤーの頃、高校の後輩であり、横浜時代のチームメイトの吉村裕基パワプロで遊んでいたとき、本人を目の前にして動きの悪いゲーム上の村田に「動けデブ!」と言われたことがある。(もっともこのルーキーイヤーの村田は本職ではないセカンドを守っていたこともその要因であり、三塁でゴールデングラブ賞(三塁手部門)を受賞するなど守備自体は決して難があるという訳では無い。)

なお、内川コピペにおいて、息を引き取る吉村と村田とはこの2人のことである。


「だいたい自分は巨人が嫌いです」

2003年に横浜に入団する際、自分を評価してくれたことが大きかったと語っており、その時にこのように発言したとされているが、FA後の巨人入団会見では「気持ちを押し殺していた」と語っていた。要するにツンデレであり、なんJでは「乙女村田」と呼ばれることになった。


ムラゲ

併殺打が多いことから「村田のゲッツー(併殺打)」を略してこう呼ばれる。右打ちの強打者の宿命。

なお併殺打に特別な名前がついている新井貴浩(ツラゲ)とは背番号25、本塁打王、FA移籍など共通点が多い。また、上述の乙女村田と合わさり「ゲッツーの極み乙女。」などとも呼ばれる場合がある。


引退試合クラッシャー

度々、他人の引退試合で活躍し、引退選手の活躍を霞ませたり消し飛ばしたりすることでも有名。

特に2007年の広島・佐々岡真司の引退試合では(本塁打王争いの真っ只中だった上、打った球はボール球だったという事情もあるが)9回2アウトで登板した佐々岡からホームランを打ったり、2010年の阪神・矢野燿大の引退試合でも抑えで出てきた藤川球児を炎上させて矢野の出番を消し去ったりしている。

なお、矢野の出番を消し去った後の引退セレモニーで花束を渡したのが消し去った張本人の村田だということはあまり知られていない。


関連項目

プロ野球 プロ野球選手 内野手 引退したプロ野球選手一覧

横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ) 読売ジャイアンツ 栃木ゴールデンブレーブス

牧秀悟・・・横浜DeNAベイスターズに所属している選手で、応援歌が村田のものが流用されている。(元々は大洋時代谷繁元信の応援歌である。)

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