北方領土
ほっぽうりょうど
概要
北方領土(ほっぽうりょうど、ロシア語:Проблема принадлежности южных Курильских островов)とは、1945年9月にソ連が不法占領した地域。北海道の北東に連なる4つの島々(北方四島)を指す。現在はソ連を事実上継承したロシア連邦が不法占領を継続しており、日本は返還を求めている。
1959年3月に「内閣府設置法第四条第一項第十三号に規定する北方地域の範囲を定める政令」が公布され、それによって以下の4島が該当する。1982年8月に制定された「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」でも同様である。
北海道根室半島の納沙布岬(のさっぷみさき)の沖合3.7キロメートルから北東方に点在する小島嶼すなわち貝殻島(かいがらじま)・水晶島(すいしょうとう)・秋勇留島(あきゆりとう)・勇留島(ゆりとう)・志発島(しぼつとう)・多楽島(たらくとう)などの島々から成り立つ。
歯舞群島の北東方22キロメートルに位置し、正確にはここも歯舞群島の一部である。
根室半島と知床半島との中間で、北海道本島の沖合16キロメートルの地点から北東方に位置する全長122キロメートルの島である。
国後島の北東方22.5キロメートルに位置する全長204キロメートルの島である。北方領土の中では最大であり、日本の離島の中では最大である。ただし歯舞群島と色丹島は大昔根室半島と地続きであったが、土地の陥没などによって離れ島になったと言われている。
北方領土問題
発生の経緯
1941年4月25日に日ソ中立条約を締結されるが、6月22日に独ソ戦争が勃発し、当時の日本政府は7月2日の御前会議にて「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」を採択した。これは独ソ戦がドイツ側有利に進展した場合はソ連への侵攻を実行するという規定が含まれる。7月7日にはこれに基づいて関東軍特種演習と称した作戦準備行動の動員令が下り、70万人の大兵力を満州に集中させた。この行為は明白な中立違反であり、ソ連の極東軍の釘付けという結果を招いた。
1945年8月8日にソ連は先の演習による日本側の条約違反を根拠に、日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。日本がポツダム宣言を受諾して降伏した後の同月28日から9月5日までの間に、当時日本領であった南樺太・千島列島の全てを占領し、1946年2月に4島をソ連に編入した。1949年7月までに全ての日本人を強制退去させ、今日に至るまでソ連とその後継国であるロシア連邦による不法占拠が継続されている。
1952年4月28日に発効されたサンフランシスコ講和条約で、日本側は千島列島の領有権を放棄した。なお締結当時の日本政府は北方4島の中で国後島と択捉島は千島列島に含まれると答弁している。1869年9月に制定された律令国の千島国は、両島から構成されていた上に地質学上も千島列島に含まれる。
1956年2月11日から、日本政府側は国後島と択捉島は千島列島に含まれないと主張。この日本側の変節は、日ソ関係の改善を望まないアメリカによる支持を得たものという説が有力。同年12月12日に日ソ共同宣言が発効され、平和条約締結時に歯舞群島と色丹島を日本側に引き渡す事が取り決められた。しかし共同宣言から60年以上を経たものの、未だに平和条約は締結されていない。
2000年代後半からのプーチンブームにより、北方領土返還交渉を期待して「主権を有する領土」という弱い表現に変更されていた。2014年2月のウクライナ危機の後もこの状況は続き、2019年5月11日に日本維新の会の丸山穂高衆議院議員が「戦争で島を取り返す事には賛成ですか、反対ですか。」・「戦争しないとどうしようも無いじゃないですか。」となどと発言した事は問題になった。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへと軍事侵攻をして、日本がウクライナを支持したことにより日露関係はさらに悪化した。そして岸田首相はそれまで「主権を有する領土」と弱い表現だったのを、「ロシアによって不法占拠を受けている日本固有の領土」と強い表現に変更した。
日本政府の基本的な立場
- 北方領土はロシアによる不法占拠が続いているが日本固有の領土であり、この点についてはアメリカ合衆国、欧州連合やウクライナも一貫して日本の立場を支持している。政府は北方4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っている。
- 北方領土問題の解決に当たって、我が国としては北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については柔軟に対応し、北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権・利益・希望は北方領土返還後も十分尊重していく事としている。
- 我が国固有の領土である北方領土に対するロシアによる不法占拠が続いている状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行う事を含め、北方領土においてあたかもロシア側の『管轄権』に服したかの如き行いを為す事、またはあたかも北方領土に対するロシアの『管轄権』を前提としたかの如き行いを為す事などは、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず容認できない。従って日本政府は広く日本国民に対して、1989(平成元)年9月の閣議了解で北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠下にある北方領土に入域しないよう要請している。
- また政府は第三国国民がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域するか、または第三国企業が北方領土において経済活動を行っているという情報に接した場合、従来からしかるべく事実関係を確認の上で申し入れを行っている。
第3国の立場
日本の立場を支持している。
2022年2月7日、駐日アメリカ合衆国大使・ラーム・エマニュエルが、北方領土問題においてアメリカが日本を支持している事実を発表する動画を投稿した。
日本の立場を支持している。
2005年7月7日に、北方領土の日本への返還をロシアに促す決議を採択した。
日本の立場を支持している。
2022年10月7日、ウクライナ大統領・ヴォロディミル・ゼレンスキーが、ウクライナは北方領土問題に関して日本の立場を支持する大統領令に署名した。
2023年2月7日、ゼレンスキー大統領は、「北方領土の日において、われわれ(ウクライナ)は日本政府や日本人と連帯する。日本とウクライナで国際法と正義が回復されなければならない」という[声明を発表した>https://www.sankei.com/article/20230208-7V7U56AI4JNVBNCSYMZSKN72JM/]。
同年3月23日、ゼレンスキー大統領は、「我々は我々の領土を取り戻し、日本は日本の領土を取り戻すだろう。我々は戦わなければならない」「彼ら(ロシア)に時間を与えたら、私物化する」と、北方領土の早期回復に向けて国際世論を喚起することの重要性を強調した。
1960年から1989年の間の中ソ対立の時期は、中ソ間で国境紛争が起きたこともあって日本の立場を支持していた。だが後に中ソ関係が再び良好になると、尖閣問題もあってロシアの立場を再び支持するようになった。
余談
1981年1月6日の閣議了解で決定した2月7日の北方領土の日は、日魯通好条約(日露和親条約)が締結された1855年2月7日に因んでいる。
日本はロシアより早く北方4島の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航すると共に、徐々にこれらの島々の統治を確立した。それ以前もロシアの勢力がウルップ島(択捉島の隣島)より南にまで及んだ事は一度も無かった。