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センシティブな作品

バブル景気」とは、1985年プラザ合意(協調的なドル安政策)に端を発する、異常に日本の景気が良かった時代を指す。具体的には1986年12月から1991年2月まで。

が膨らむがごとく、実体経済からかけ離れた資産価格の高騰により景気が過熱(バブル経済)した。

経過

日本では急速な円高によって「円高不況」が起きると懸念されたため、度を越した金融緩和が行われ、景気が過熱した。地価の想像を絶する高騰により、それまでの日本人の憧れだった「マイホーム」は夢の夢となり、余った資金が土地や株への投資や、浪費的な消費に向かった。

大学生や20代の新社会人は消費対象としてもてはやされ、スキー海外旅行が流行し、若い男女はディスコ遊びやナンパ、海外においてはブランド品の買い漁りに精を出した。東京などの大都市の都心では、贅沢なスポーツカー高級車が街にあふれた。

特に、ミニスカボディコンスーツに身をまとった若い女性が、ディスコで扇子を振り回して踊る姿は、バブルのアイコンとして扱われている。

1989年末には日経平均株価が最高値の38,915円87銭を記録した。

その一方で海外においては価値の云々も理解できず敬意も払わぬ若者たちによる蔑み同然のブランド買い漁り、一部企業による投資目的の海外資産・観光資源目的による土地の人々の誇りや支えとなっていたランドマーク強引な買い叩きなど、その他もろもろ、現地の人々の心情を逆撫でする傲慢この上ない暴言や無体な行動などが問題視され、国際世論からは日本に対して壮絶な非難の声が巻き起こっていた。

戦後日本の繁栄の絶頂期であったが、この時期の円高と人件費高騰により日本の産業がアジア諸国に次々と移転し始めた。多くの会社の管理部が日本国内の産業(特に一次産業・二次産業)を蔑ろにして個人経営や中小企業を蔑むようになり、産業の空洞化など、バブル崩壊後長期にわたる不景気の種が確実に蒔かれていた時期でもあった。

末路

行き過ぎた地価と株価の高騰は1990年には下落し、翌年には膨大な不良債権を生んだ。

莫大な負債を抱えた企業は大手を含め倒産が相次ぎ、生き残った企業も人員削減の為にリストラや雇用の抑制を敢行。有名大学を出ていながら就職が困難になるなど学生を苦しめ、中には就職活動に失敗したままフリーターニートになった者も多い。人材派遣(派遣社員)が一般化したのもこの頃である。当然給与水準も大きく低下した。現代まで叫ばれる「格差社会」「若者の貧困」「少子化」などの問題の多くは、バブル崩壊後の不景気が原因である。

この「バブル崩壊」当初は、これまで焼け野原からの復興やオイルショックを乗り越えてきたことから、一時の不況として楽観視する声も多かった。しかし事態は予想以上に深刻であり、年を追うごとにかつての栄光が失われていった。

21世紀、特に平成の終期になると平成レトロとして懐古の対象と化し、創作にはタイムスリップしてバブル当時に行くものや、バブル景気が続いていたIFの世界を描いたもの(いわゆる「バブルもの」)が多く存在する。

しかし当然と言えば当然なのだが、こうした「バブルもの」においては、海外各国で多くの日本人が巻き起こした現地への無礼や、国内産業の空洞化を招いた一定産業に対する蔑みや蔑ろなどの「バブルの闇」に関しては描かれないか、あえて実情を曲げて正当化に終始する表現に堕する事が多い。

なので後年の世代が、バブルの時代に羨望を向けるケース(いわゆる平成レトロにおけるバブルリバイバル)も多いが、この場合昭和レトロが昭和の実情を表現していないように、バブルリバイバル(平成レトロ)もバブルの実情を表現などしていない事をきちんと理解する必要がある。

これ以降、特定分野への投資が加熱することを「〇〇バブル」と称するようになった。2000年ごろにIT分野の株価が急上昇した「ITバブル」、2017年の「仮想通貨バブル」などである。

当時と違うのは、好景気のさなかであっても「バブル」と称され、遠からず崩壊するものとみなされている点である。

また、金満主義が蔓延した当時の世相から、金に飽かせた豪華装備を「バブル的な」、「バブリーな」と形容することもある。

バブルの元凶と言われる人物

(肩書きは当時)

中曽根康弘(内閣総理大臣)

竹下登(大蔵大臣)

宮沢喜一(大蔵大臣)

澄田智(日銀総裁)

関連タグ

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ジュリアナ東京 - バブルの象徴とされるディスコだが、実際にオープンしたのはバブル崩壊後。

平野ノラ - バブル期のファッションや流行語をネタにする芸人。

オイルショックバブル景気/バブル期バブル崩壊/就職氷河期

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