概要
(1837~1911)
土佐出身。江戸に出て安井息軒に学び、藩校助教となる。戊辰戦争で活躍し、維新政府では佐賀の乱・台湾出兵の鎮圧に貢献した。1877年の西南戦争では、熊本鎮台司令官として熊本城を堅守した。
第一次伊藤博文内閣では農商務大臣を務めるが、国権派として伊藤の欧化政策を批判し、井上馨の条約改正案に反発して辞任。
以後、貴族院議員として独自の政治運動を展開した。日英同盟締結や、日清・日露戦争の際には、批判的な立場を取っていた。
経歴
- 1870年:藩少参事に任じられ、土佐で藩政改革に尽力。だが東京にいた後藤象二郎・板垣退助が積極財政と浪費を重ね藩財政を傾けていたことに反発、片岡健吉と共に後藤等の頭越しに藩士のリストラと節約を遂行したが、これが彼等の怒りを買い藩政から排除される。
- 1871年:反対派からの支持により、藩少参事に復帰、軍事改革に尽力。
- 1873年:4月5日;熊本鎮台司令長官
- 1874年:4月5日;台湾蕃地事務参軍
- 1876年:11月9日;再び熊本鎮台司令長官
- 1878年:11月20日;陸軍中将昇進 12月14日;東部監軍部長[72][74]
- 1885年:12月22日;農商務大臣
- 1886年:3月11日;勲一等旭日大綬章 7月8日;正四位 10月19日;従二位
- 1888年:7月14日;学習院御用掛
- 1905年:10月16日;退役
- 1911年:4月15日;正二位 5月13日;死去