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寡兵の編集履歴

2023-12-12 12:58:49 バージョン

寡兵

かへい

敵より数が少ない兵士。寡兵で多数の敵と戦うことを「寡戦」という。

概要

歴史上において、兵士の数が敵より少ないことは珍しくない(というより事前に両勢力で打ち合わせでもしない限り兵数が同じになる方が珍しい)。

孟子』では「寡は衆に敵せず(少ない者は多い者には勝てない)」とある。通常であれば勝つことは出来ない戦いに勝つ。そんな有り得ないことをやってのけた例を紹介したい。


寡戦の例

紀元前255年 ”スパルタからカルタゴへ”

スキピオローマ帝国軍8万VSハンニバルカルタゴ連合軍5万。ここでハンニバルはローマ軍を引き付け、最終的に包囲殲滅した。ローマ側は死者5万に対しカルタゴ死者5千。一度の戦いで5万の死者が出るのは第一次世界大戦まで無かった。今でも戦略の教科書として名高い。


7月7日は昆陽の戦い

王莽40万VS光武帝後漢3千。さすがに数は誇張だと思われるが、とにかく圧倒的不利な状態で光武帝は勝ってしまう。


嵐を超える

今川義元三河軍2万5千VS織田信長尾張軍3千。今でもなぜ勝てたか議論の的になるが、ひとつは雨が降っていたこと。そして奇襲である。桶狭間の戦いで今川義元は弱いなどと思われがちだが、「東海一の弓取り」として有力な武将だったことを抑えてほしい。その大物を倒したことで、織田信長の名声は大きく知られることになる。


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スウェーデン王国のカール12世が、[[[ロシア帝国]]相手に勝利。ロシア軍3万5千に対し、スウェーデン軍1万。戦力差はほぼ半分だったにもかかわらず、スウェーデンが勝てたのは「吹雪で大砲が撃てなかった」「兵の質が悪く統率が取れなかった」「内通者がいた」などの悪条件が積み重なったからだといわれる。

苦汁をなめたピョートル1世は、以降ロシア軍の近代化に乗り出す。


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ユスティニアヌスに仕えた、東ローマの将軍。用兵の天才。東ゴート族15万に対し、9千で勝ったというリアルチート。盛ってるにしても滅茶苦茶である。


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