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邯鄲の編集履歴

2024-03-20 10:13:36 バージョン

邯鄲

かんたん

邯鄲(中国語: 邯郸)は、中華人民共和国河北省南部に位置する地級市。

概要

西には太行山脈がそびえ、そこから滏陽河が流れる。また南の河南省安陽市との間を漳河が流れる。


京広線の沿線にあり、石炭業のほかセメント製造、鉄鋼業、紡績業、電子産業などが盛んであり、その交通の便から工業全体が伸びている。


戦国時代の趙の首府であり、日本ではとりわけ「邯鄲の夢」の故事によって有名である。


邯鄲市は始皇帝の出身地でもある。は趙に対し人質として公子で、昭襄王の孫の子楚を差し出したが、大商人呂不韋は子楚の非凡さを見抜き身元を救い出し、後に後見人として勢力を振るった。彼は自分の愛人を子楚に与え、生まれた子が政、後の始皇帝である。始皇帝は生まれてまもなく秦と趙との戦いに巻き込まれ子楚が王になるまでの6年間邯鄲の富豪にかくまわれたという。趙を滅ぼした後一度だけ邯鄲に入城し、生母の敵たちを皆生き埋めにしたと伝わる。


歴史

邯鄲の地名の初見は『竹書紀年』にさかのぼることができる。地名の由来は『漢書』地理志中の張晏の注釈に従い邯鄲山とされる。この山は元来は邯山と称され、それに山脈の末端という意味の単が付随し「邯単」とされ、更に城郭が形成されたことによりオオザトが追加され「邯鄲」とされた。


神話時代、女媧が邯鄲の古中皇山で粘土で人を作ったという伝説がある。1万年前には既に旧石器文化が存在しており、古くより人類の活動があったことが認められる。都市が形成されたのは殷代であり、殷初には邢(現在の河北省邢台市)、後に殷(現在の河南省安陽市)に都城が設けられ、邯鄲は畿内とされていた。『竹書紀年』には殷末の紂王が邯鄲に「離宮別館」を建設したという記載がある。


周朝が成立すると衛国に属し、春秋時代にはの版図とされた。紀元前500年には晋国正卿の趙鞅により邯鄲を自己勢力下に置き、以降邯鄲は趙氏が世襲する領地となった。


戦国時代の紀元前386年、趙の都城が中牟(現在の河南省鶴壁市)より邯鄲に遷都されている。紀元前228年、秦軍が邯鄲を攻撃、趙王は秦に降伏し邯鄲は秦国の版図とされ、紀元前221年には秦が趙を滅ぼし、翌年に中国統一を達成すると、邯鄲県が設置され邯鄲郡の郡治とされた。秦末に発生した陳勝・呉広の乱では趙が復興された際、秦将章邯により趙が邯鄲に籠城することを回避すべく、占領後に邯鄲は徹底的に破壊された。


紀元前203年、前漢が成立すると郡国制が採用され、常山郡・鉅鹿郡・邯鄲郡に分割されている。紀元前198年、劉邦は皇子である劉如意を趙王に封じ、邯鄲郡を趙国と改称し統治させた。この際に華麗な邯鄲宮が建設され、「富冠海内、天下名都」と称されるようになった。


後漢末の混乱期には、邯鄲県は各勢力による戦火の被害を受け衰退していく。213年、献帝は曹操を魏国公に封じ鄴城に建都すると政治・経済・文化の中心は鄴城に移り邯鄲県は魏郡の一般の県城とされた。221年、により広平郡、の時代には再び魏郡の管轄とされている。南北朝時代には東魏により邯鄲県は廃止となり臨漳県に統合されたが、596年に再設置されその後を通じて邯鄲県は小県として洺州・磁州などの管轄とされていた。邯鄲が寂れる一方で、近くの大名府は宋朝には副都となり河北の大都市となった。


明朝になると1368年に全国を13省に分割、邯鄲県は北直隷省広平府の管轄とされ、清朝もそれを沿襲名し直隷省広平府の管轄とされた。中華民国成立後は、1913年に広平府が廃止され、邯鄲県は直隷省冀南道、1928年には河北省の直轄とされた。


国共内戦の結果、中国共産党が邯鄲を実効支配するようになると1946年に邯鄲県城区に県級市の邯鄲市が設置されている。1949年3月には邯鄲市は邯鄲鎮に降格、同年8月に河北省人民政府が成立すると邯鄲専区が設置された。1952年12月22日、邯鄲鎮が再び県級市の邯鄲市に昇格、1953年には地級市、1954年には省轄市に昇格したが、1961年に県級市に降格、1983年に地区、県級市合併に伴い地級市としての邯鄲市が成立し現在に至る。


1980年代以降は改革開放政策に伴い急速な経済発展を遂げ、鉄鋼業などに燃料を供給する石炭業を中心に一大工業都市となった。また日用磁器生産では唐山市を抜き、中国北部最大の生産地となっている。しかし一方で、市の西の太行山脈に発し、市街地を貫いて北へ流れる滏陽河では、上流での過剰な取水と生活排水や工場廃水の投棄により断流や水質汚濁が起こり、重大な公害問題になっている。


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