中国古代王朝・周朝の創始者。「武王」の名で知られる。贈名は武帝。
中国の伝奇小説で藤崎竜か翻案し連載した『封神演義』の登場人物。『史記』などでは太公望・紂王・伯夷・叔斉に関連する人物としても知られる。
姫昌の死後、太公望のススメで武王を名乗り西岐を「周」と改め、殷の紂王を打ち倒して周の初代王となる。
しかし、自身は早世したため、子の成王の補佐を姫旦らに託した。
古代中国において賢人として知られる伯夷・叔斉が諌めた人物として知られる。
易姓革命を正当化する論調を取る孟子からは高く評価されている。
伯夷・叔斉について
伯夷・叔斉は元々殷末期の孤竹国の王の長男と三男だったが互いに国主の座を譲り合った末に流浪していた(国は次男が継いだ)。時が過ぎ姫昌に仕えようと赴くも姫昌はすでに亡く、後継ぎの姫発が率いる紂王討滅軍に出くわした。兄弟はこの時「父死して葬らず、ここに干戈(かんか)に及ぶ、孝と謂うべけんや。臣をもって君を弑(しい)す、仁と謂うべけんや(『十八史略』)」と諌め、姫発の周囲の兵たちに殺されそうになったが太公望により事無きを得た。
やがて姫発が紂王を討ち果たした後、兄弟は周の粟(穀物)を食む事を恥として首陽山に隠棲してワラビやゼンマイしか口にせず食べていたが、最後には餓死した。
彼らの行いは後世称賛され日本でも徳川光圀が史記「伯夷列伝」に感銘を受け、それまでの放埒な行いを改めたとされる。
また「三国志演義」では諸葛亮が赤壁の戦いに至るきっかけになった孫権の家臣たちとの大論陣で伯夷兄弟と姫発の故事を語る場面がある。
フィクションにおける姫発
- 藤崎版封神演義
女好きで美女の気配を察知すると髪の毛がレーダーの様に反応し「プリンちゃーん」と叫び抱きつく。
正義感が強く根は真面目で周囲からの人望は厚い。
頭には常にバンダナを巻いている。
こちらは横山光輝版の封神演義。兄や父の死後、太公望の補佐を受け殷の打倒を果たす。
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