概要
ご長寿園芸番組「笑点」で1998年3月29日に放送された、第1609回の大喜利3問目で使われた問いかけ。その内容から、ある種の伝説回となっている。
番組の流れ
(※各員の芸名に関しては、変更したものも含め当時のものを優先して記載する。)
ことわざの意味を訪ね、「自分で考えなさい」と突っぱねる司会の三遊亭圓楽に対し更に返す2問目を終え、始まった3問目。内容は、「配られたテンガロンハットとスカーフで西部劇時代の保安官となり、お尋ね者のポスターを掲げ、『そいつは何者だね?』と尋ねる圓楽に説明する」といったものだったが、配られたポスターが客席に向けられた瞬間笑いが起き、弟子の三遊亭楽太郎と隣の桂歌丸が「コイツですか?」と見せた瞬間、圓楽は「あ゛ーー!何だこれはぁ!?」と絶叫した。
なんせ見せられたポスターに掲載された10万ドルの賞金首は、圓楽自身だったのだから。
気を取り直した圓楽は早速歌丸を指名して始めるが、直後「どぉこの馬の骨だか!」といきなりの馬頭、ならぬ罵倒に、早々9枚あった座布団を全部没収する。
次に指名したのは、隣で同じく笑っていた楽太郎。「実は……わたくしにとって大変恩の有る方で……何かの濡れ衣でこのような事になったと思うんですが……根は良い人でございます!」と一転して擁護する様に気をよくした圓楽は、「調子乗ってるよ」と指摘する歌丸に、「噓でも庇うとこがいいじゃない」と返しながら座布団を1枚贈る。
続く最奥の林家こん平に対しても、「世界中の女性のハートを盗んだ、恋泥棒さ」と昔とった杵柄を引っ張り出され、「黙ってても2枚差し上げなさいよ」と珍しく座布団運びの山田隆夫に無茶ぶりを振る。
そこから半周し回ってきた最寄り席の三遊亭小遊三には、「気を付けなくちゃいけねぇぜ、面は長ぇけど気が短ぇからよ!」と顔と気性をいじられ、座布団7枚を没収。
楽太郎の兄弟子に当たる、隣の三遊亭好楽は、「変わった野郎でさぁ、賞金がつくと言ったらさぁ自分がその金欲しさに自首して来やがったよ!」と師匠の借金ネタを掘り返すも、「そんな馬鹿な奴……」と笑われながら座布団6枚を没収を通告され、「何でだよぉ!」と不満の声を挙げながらも素直に従う。
続けてその隣、かつて好楽が林家彦六門下にいた時の兄弟子でもあった林家木久蔵……だったが、没収された好楽の座布団がぶつかって転落してしまい、その拍子に歌丸を押し倒してしまう。こん平が「何だ!?」と慌てながらも笑うのを横目に、圓楽も「まぁ落ち着いて、まぁ落ち着いて。プロレスみたいになってきちゃった」と自身も笑いながら宥めると、木久蔵が戻った頃合いを見て「そいつは何者だね?」と切り出すも、今度はポスターの上下が逆だったことに気づいた木久蔵が慌てて持ち直したために再度尋ねたところで、「これか!これはな…いちでなし…にでなし…ごでなし…ろくでなしよ!」と答え、「人でなし~!」のツッコミと共に座布団5枚没収。
ここから2週目となり、早々に「噂によると、江東区の『若竹』で借金を踏み倒し、中野区へ逃げ込んだ奴よ!」と借金ネタを当ててきたこん平が先程の分も含めた9枚を全没収。「富士の山ほどお金を貯めて、恥をかかせは……」と苦笑する。
そこから一気に飛んで「よーく見とくんだぜ!テキサスには珍しいブリのアラだ!」と十八番ネタを持ってきた小遊三が座布団1枚獲得。
続けて楽太郎を指すが、庇った先程から一転、「知らねえや、こんな奴は!」とポスターを放り投げ(これにはこん平が思わず「命の恩人って言ってたじゃねぇか!」とツッコミを入れている)、「これで一発引っ叩いてきて」と軽く開いた扇子を圓楽から渡された山田に、「師匠から言われましたんで」と言葉通り叩かれた。
そして締めを飾るは木久蔵。「よく見ろよ!(「うん!?」と反応した圓楽に対し)おめえじゃねーか!」とあまりにもまんま過ぎる答えに、圓楽も「あ、俺だー!」と大苦笑しながら「そのまんまじゃねーか!」と突っ込む歌丸を無視して「笑点ここまで!また来週!」と締めざるを得なかった。
補足
- 歌丸の「どぉこの馬の骨だか!」は結構気に入っていたのか、他の回答でも度々使っている(例:発掘中の遺跡の発見を報告し、「大発見だ!」とほめる圓楽に返す問題にて、「団長!若竹の跡地から動物の骨が出てきました!」から続ける形で「どぉこの馬の骨だか!」)
- 「~何かの濡れ衣で~」と庇うような答えから「知らねえや、こんな奴は!」と一転した振舞いを見せた楽太郎は、これよりマシではあるものの師匠弄りの常習犯であり、直前の問題でも「馬の耳に念仏ってどういう意味ですかね?」と尋ね、「言っても無駄ってことか」と笑いながら返して座布団を総没収されている。
- メイン画像や上記の「馬の耳に念仏って~」の様に馬面と弄り倒される程に面長の圓楽だが、若い頃は「星の王子様」と称される程にイケメンとして知られており、こん平の「世界中の~」は、その頃の人気を示したものでもある。
- 対する「~江東区の『若竹』~」は、かつて圓楽が借金をしてまで建てたものの、碌に元もとれないまま数年で閉鎖する羽目になった寄席のこと。なおさすがに借金を踏み倒しはしなかった。
- 「黙ってても2枚差し上げなさいよ」とせっつかれた山田と言えば、こん平に対しては専ら「黙ってても(突き飛ばして)持っていく」パターンの方が多いが、直前の問題で「『律義者の子沢山』ってどういう意味ですか?」→「『座布団運びの子沢山』は知ってるんですけどね」と答えたこん平に1枚追加している(この時圓楽は、「山田君任せます」と一任している)様に、「黙ってても差し上げる」パターンも少なからずあった。
- 小遊三の「~面は長ぇけど気が短ぇ~」を聞いて、(特に後任の歌丸や昇太が同様の弄りネタにすぐ機嫌を損ねるような振舞いを見せるのを知っていると)「これだけ失礼なことを言われ続けてもゲラゲラ笑ってるのに?」と疑問に思われるかもしれないが、圓楽は先述の「星の王子様」と持て囃された若い頃からかなりの暴れ馬……もとい激情家と知られており、「入院中窓の外を吹く風に『うるせぇ!』とキレた」なんて話も残っている他、当時落語協会会長だった師匠圓生に実質次ぐ対抗馬ポジションだった彦六相手にも噛みついたことがある。
- これに関しては全生時代、懇意にしていた柳家小半治が亡くなった際、寺院出身故経を唱えたいと思い、葬式の場所を聞いた当時8代目林家正蔵だった彦六門下の先輩にあたる7代目橘家圓太郎と2代目古今亭甚語楼に嘘をつかれ、小半治の葬儀に立ち会えなかったことが原因。この件で生じた口論の場に現れた彦六は、「後輩の癖に生意気な口を利くな、俺が相手になってやるから表へ出ろ」と焚きつけ、「上等だ相手になってやる」と激昂した圓楽を連れて実際に外へ出ると、一変して笑顔で「あの場では圓太郎等の手前、ああ言わざるを得なかった。おまえは気が短いようだが、自分も短気では随分と損をしてきたから、気は長く持たなければならないよ」と優しく諭し、以降稽古をつけてやるほど気に入り、ゆくゆくは4代目没後3代目だった自身が保有していた圓楽の名を譲ると約束したという。
- この他激昂ぶりの代表例としては、歌丸追悼の際に明かされた収録前に好楽への指導中、あまりの出来の悪さにブチギレて、剣幕に恐れをなした好楽が噺家を廃業することさえ考えた(あまりの剣幕に見ていたスタッフさえ声をかけれなかったが、幸い歌丸のとりなしで何とかなった)逸話が有名。一方楽太郎から「(師匠は)怖いってより厳しい」と評された様にストイックな部分もあったものの、そのせいで参入間もない頃「はい楽太郎はダメ!」と締めてやはり引退を考慮されるなど、人望と同じくらい恐怖されてもいた。
- ちなみに「ブリのアラ」は圓楽の十八番ネタだった演目『短命』に由来するブ男の揶揄。由来は圓楽自身も述べているが、「骨太くて血生臭くて脂ぎっている」様をそれに例えたもの。
- 圓楽からは「そんな馬鹿な奴……」と一蹴されたが、奇遇にも好楽の「賞金欲しさに自首した」ネタはアメリカで実際に発生したらしい。
- 類似問題は以降も度々出題されており、例えば保安官の代わりに岡っ引きになり、同様に圓楽のポスターを抱え、圓楽が「そいつは何者ですかい?」と尋ねる問題では、同様に歌丸の「どぉこの馬の骨だか!」で始まっている。
- この他歌丸時代には「警察官役で歌丸の手配書を掲げ、署長役の歌丸とやり取りをする」なんて問題もあったが、歌丸は手配書を見て早々に「これ(逮捕ネタが持ち芸だった)小遊三さんの間違いじゃないの?」と不満を露わにした他、最終的に散々言われ続けた憂さ晴らしとばかりに歌丸は全員の座布団を没収した。
- 更には「歌丸の遺影を抱えた未亡人役のメンバーが思い出の地を巡り、語り掛けられた歌丸が天国から『そうだねぇ』と懐かしむところに続ける」なんて問題が出た際は、手を上げないことを不審がって声をかけた楽太郎に早々「これ持っただけで感激しちゃって」と言われて没収して以降も「庭に満開の桜が咲きました」と始めたたい平に「だけど、この桜の木の下にあなたが埋まっている事は誰も知らないんですよ」と続けられた(これには思わず「俺は肥やしか!」とキレているが、直後楽太郎から「肥やしになるわけない」とヤジを飛ばされ、上記に続いて没収した)のを始め、(上記の手配書とは違い総没収まではいかなかったものの)散々に言われている。
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