急行時代
1968年10月ダイヤ改正で東京駅発着の夜行急行「那智」「伊勢」「大和」を統合する形で運行を開始し、東京駅~紀伊勝浦駅・鳥羽駅・王寺駅間を東海道本線・関西本線・紀勢本線・参宮線経由で結んだ。
1972年3月改正で「那智」に由来する紀伊勝浦駅行のみの運行となり、大阪駅発着の「銀河1・1号(1978年10月ダイヤ改正以前のため上りも1号)と東京駅〜名古屋駅間を併結するようになった。1975年3月ダイヤ改正で特急に格上げされた。
特急時代
山陽新幹線が全線開業した1975年3月ダイヤ改正で廃止された「あさかぜ」1往復に使用されていた14系14形を使用した寝台特急となる。
ちなみに併結相手の「銀河1・1号」は京都駅から山陰本線に入り園部駅を経由し米子駅へ向かうルートに変更され特急「いなば」になった。
1973年9月に四日市駅〜津駅間を短絡する伊勢線が開業した時、当時並行していた気動車特急「くろしお」や急行「紀州」が伊勢線経由に変更される中、機関車運用の関係からか唯一亀山駅経由のまま運行された。このため亀山駅で列車の向きが変わることになった。
1982年に名古屋駅での機関車付け替えで衝突事故を起こす。原因は機関士の飲酒運転だった。
利用率低迷もあり1984年2月改正で廃止。寝台特急としては僅か9年という短い運転であった。
急行時代から東名間を「銀河→いなば→出雲3・2号」と併結運転していたことや作業合理化もあり特急化後もヘッドマークは掲出されなかったが、運行末期にはテールマークのみイラスト入りのものになっていた。