概要
辞書的な意味では、企業や政治の指導者層の円滑な世代の交代が行われず、組織の若返りが阻まれる状態を指す。日常的には、他人の意見を聞かず時代遅れの価値観を押し付ける傲慢な高齢者に対する言葉として使われる。
SNS上などでは、60代の人が他人を「精神年齢70代の老害」と呼んだり、中高年が自分より年下の別の中高年を老害と呼んだりする事など稀によくあるが御愛嬌って事で。
ストレスになり得るものが爆発的に増えた現代では、下手すると20代からこの兆候が見られる者も増加しており、老害という言葉が広まった事とも決して無関係ではない。
また、インターネット上では(年齢に関係なく)古参のファンを指して使われることがある。
この意味での老害を自称し「老害として言わせてもらうが、最近の若いファンは~」などと周囲を腐す者も珍しくない。
実際のところは、こうした凡人と違う特別な自分を主張する言動はむしろ老人どころか中二病(高二病)に近い行為なのだが…
ネット上における用法
本来の原義は「組織が老いていくことによって生じた害」なので、あくまで「若返りが阻まれている状態」を意味する用語であり、高齢者・老人への差別的な意味合いは一切ない。害虫による害を意味する「虫害」に害虫を差別する意図が(本来は)ないのと理屈は一緒である。
しかし、現状は「高齢者での犯罪(主に交通事故、横暴)」といったニュースが急激に増えた事で原義とは異なる意味合いで使用されており「高齢者の犯罪ばかり見かける」「間違い事故ばかり起こすせいで被害者が可哀想」あるいはそういった悲惨な死亡事故の発生で「未来ある子供や若者の未来が老い先短い横暴な老人によって奪われた」として、罪ばかり起こす高齢者=老害という偏見・レッテルが貼られ、今は高齢者に対する侮辱・差別用語として定着している。
このような「老いた人間による害」という誤用じみた意味が発生して広まっていった背景には
- 今生きている老人というのは戦後生まれの団塊の世代が主であり「戦争や災害の苦難もなく、高度経済成長期とバブル経済といった日本の黄金/全盛期を謳歌し、それらの崩壊後は先の世代の遺産を無碍に食い潰して無責任に逃げ切るのを待つだけの、失われた30年の元凶達」という負のイメージが先行している
- 戦後80年近くが経過し「戦後復興を支えた礎の世代」というイメージの戦前から生きている高齢者はもうほとんどいない
- 平成初期の情報革命を始めとした技術革新の高速化により、それより前の老人が培ってきた知識や経験が「旧態依然」で役に立たなくなったという時代の変化
- 医療の発達等々の理由で「長生き」というだけでは敬われなくなり、数だけは多い過去の栄光に縋る哀れな高齢者として若年層の憎悪や怒りで高齢者への敬意が失われ、世代間の分断が起きている
- 散々老人達が味わってきた「結果を出すまでの様々な困難・苦労及びその経験談」が美徳とされなくなり「楽かつ早期に大きな結果を出す」事が貴ばれる傾向が生まれた
等々の事情が挙げられる。
pixivにおいても「若者達に暴言を吐く」「新しい価値観を受け入れない、根拠もない(なんなら現代の知見では間違っている)根性論・精神論の押し付け」「自己の利益や満足の為に社会を脅かす」「社会や組織を停滞させる、年功序列で地位だけは高い無能」「犯罪を犯しておきながら犯罪である意識すらもない」「敬老精神を押し付けてくるばかりで、自身の価値が伴っていない」といったような老人を皮肉るイラストに付けられているようだ。
いずれにせよ、「老害」という言葉を乱用してると時の流れは残酷なもので、今度は自身に返ってきて突き刺さってくる可能性は0ではないのである。
サブカルチャー層における老害
先のように、ある人が「老害」になってしまう原因としてジェネレーションギャップの存在は大きい。そのため、先述のように極端な例を含めても0とは言いきれない。例えば、君が何らかのシリーズ作品のファンだとしよう。そのシリーズが長年に渡って続いていると自然と新旧のファンに知識や考えの差が生まれる。その場合に最新の作品批判をいわゆる「古参」が始めると初期世代と現在の世代で諍いが起きる。
つまり、これが新しい(若い)世代のファンからすれば、古参は「老害」となる。いずれにせよ、新しい者ができる度にこのような事が繰り返されるわけだ。どの作品とは言わないが、既に最初の実害も発生してから10年以上経過しており、現象としては既知のものとなっている。
キレる老人
昨今、日本では「キレる老人」というものがメディアにも取り上げられ、多くの共感を得ている(「老害」は差別用語であるため、メディアは使用しない)。
たとえば、飲食店において店員に理不尽な文句や罵倒を言ったり、初対面の人間に無礼な態度で接する人は若者より高齢者が多い傾向にあるとされている。
それだけに留まらず、アクセルとブレーキを踏み間違える交通事故によって若い命が絶たれてしまうケースもしばしば発生することや、世代間の摩擦もあって、今までにないほど「老害」は問題視されている(特に年配の男性は家父長的な価値観を持っている人が少なくなく、フェミニズムに感化されている若い女性とは相容れない)。
原因と予防
人間は40代辺りから脳の老化で前頭葉の働きが衰え始め、脳のブレーキ(≒自制心)が効きにくくなることで性格が先鋭化し、怒りが収まらなかったり柔軟性がなくなったりし始める(年を取ると涙もろくなるのもこのため)。
また、年齢を重ねて生活が安定していくと、良くも悪くもルーティン化した生活が新しいことへの抵抗を抱かせ考え方を保守的になりやすくさせるという側面もある。
予防法としては好奇心を持って新しいことを学び続ける事。
また、適度な運動も大事である(前述した前頭葉には運動を司っている領域もあるため)。
「もう年だから」などとあきらめずに挑戦・学び続ける姿勢が、老害になるかならないかを分けると言っていいだろう。人間の脳はいくら年を取っても成長し続けられるのだから。
日本では子が実家から独立する傾向があり、そのため独居老人が社会問題化し、老害を増やしている遠因になっているのではないかという分析もある。
事実隣国の台湾では独居老人が少なく、また老害という問題も深刻視されてないことから、日本社会の構造的な要因であるとも言われている。
関連記事
上級国民:国家公務員の官僚や、大企業の社長といった「社会的地位の高い職業」を経験した、高齢者に対する蔑称として呼ばれることもある。
姥捨て山:「老益」の民話として有名。
痴呆症:老害の原因になりやすい。
老益:対義語。