イタリアの自動車メーカー、アルファロメオはIRI(イタリア産業復興公社)傘下の半国営企業として、イタリア南部(スッド:南)の産業発展のためナポリ近郊に工場を建設、ポルシェ出身の技師ルドルフ・フルシュカ設計による大衆向け新型車をリリースする。いわゆる「アルファスッド」である。誰だスバル1000のパクリとかいうのは。
しかし当時の南部の労働環境や、ソ連(当時)製の鋼材の粗悪さに起因するといわれる(諸説あり)スッドの低品質は基本設計の素晴らしさをもってしても――イタリア車の評判を落とすことになった。
(日本においては、北米でのフィアットX1/9の水没事情も考慮すべきであり一概には言えない)
その後、日産との合弁会社A.L.N.A.による、パルサー(二代目N12系ハッチバック)の車体にスッドのFサスと駆動系を組んだ「アルナ」が生まれ、商業的には失敗するもアルファには当時のハイテク生産技術を、日産には足回りのノウハウを、それぞれ伝えた。
スッド後継の「33」を経て、IRIからフィアットグループ傘下に収まったアルファロメオは、モノコックをグル―プ内で共有する「ティーポ2/3プロジェクト」でいくつかのクルマを造ることになる。
4ドアセダンの「155」1992~1997
クーペモデルの「GTV」とそのオープンモデル「スパイダー」(916系)1995~2005
そして3ドア/5ドアハッチバックの「145/146」1994~1999
である。
スッド系の特徴としては、OHC/DOHCの水平対向エンジンが挙げられるが、145/146においては最終的にフィアットのスーパーFIRE系ベースのTS(ツインスパーク)ユニットに移行する。日本向け正規輸入は、145の右ハンドル/5速マニュアル/2.0TSユニットに限られ、他のユニットや左ハンドル、ノッチバック5ドアの146は並行輸入のみとなる。
145/146の生産終了後、後継機の147にバトンタッチ。これをもってノルド(北)とスッド(南)の区別はなくなった。