概要
アルマンド・グティエレス・モスコテ(1952年8月8日 - 1982年6月9日)
コロンビアの歌手。彼はバジェナートの歴史の中で最高の歌手の一人とみなされています。
来歴
1952年8月8日、セサール県ラパス生まれ。エリアス・ホアキン・グティエレスとレオノール・モスコテの息子。生まれて数ヵ月後、一家はバジェドゥパルに移り住み、そこで勉強した。
モスコテは長年にわたり、毎年バジェドゥパル市で開催されるバジェンダ・バジェナータ音楽祭(スペイン語:Festival de la Leyenda Vallenata)の最も重要な歌手の一人となった。1974年には「El Hachero」で同フェスティバルの優勝者となり、1976年には「Yo soy vallenato」で2度目の優勝を果たした。
1975年、アコーディオン奏者ノルベルト・ロメロと『El Hachero』というタイトルのファースト・アルバムを録音。彼らの人気は上昇し、翌年にはアルバム『Mil Canciones y un Acordeón Sonoro』をリリースした。その後1977年にノルベルト・ロメロと別れ、ポンチョ・ロペスが彼のアコーディオン奏者となり、ラファエル・エスカロナやディオメデス・ディアスといった作曲家の曲を演奏した。1979年、アコーディオン奏者ラファエル・サラスとともにアルバム『El Sentido de mi Vida』をリリースし、70年代のコロンビア音楽で最も売れたアルバムのひとつとなった。1980年には、アコーディオン奏者ラファエル・サラスとのアルバム『Quiero Estar Contigo』と『Cita En El Puerto』をリリース。
1982年、思春期から患っていた糖尿病により健康状態が悪化。同年6月には入院を余儀なくされた。1982年6月9日午後、腹膜炎のため死去。
関連動画
El Hachero(1975)
【すとぷり】とラファエル・オロスコ・マエストレ オリジナル曲メドレー PART8(47:06)
El sentido de mi vida(1979)