概要
テレビアニメ「機動戦士Ζガンダム」及び本作の監督である富野由悠季氏による小説「機動戦士Ζガンダム」、並びにその数あるスピンオフ作品に登場するクワトロ・バジーナ大尉とレコア・ロンド少尉のカップリングである。
公式か非公式かの見解はファンの間でも分かれるところではあるが、「劇中で関係描写がある」という点で考えるのであれば公式カップリングであると言える。
しかし事を「相思相愛」という観点で見た場合には意見の割れるところであるので、非公式を主張するファンがいても当然おかしくはない。
関係性
肉体関係
恋人か愛人かはたまたセックスフレンドか。二人の関係をめぐってはファンの間でもしばしば熱い議論が交わされる。
中には両者の肉体関係すら否定する派閥も存在するが、2005年6月7日刊行の週刊プレイボーイ誌において原作者である富野氏自ら『今回、シャアと女性兵士レコアの、大人の関係を暗示させるようなシーンもありますが、それを見ていてもわかりますよ。ああ、こいつらは5,6回は寝てるな、と』と語っていることから、少なくとも5、6回は肉体関係がある(らしい)ということは否定できるところではないようである。
テレビアニメ第32話ではレコアの私室に入って躊躇なくベッドに腰掛けるクワトロの姿も描かれており、その後のレコアの対応(後述)やキスシーンを見ても、二人の男女関係には疑いの余地はない。
また、アニメ本編ではないが漫画「機動戦士ΖガンダムDefine」では肉体関係にある事が明確にされている。この際にレコアが「アーガマで殆どのクルーは自分達の関係を知っている」とも言っており恋人関係である事も明かされている
ちなみに「劇場版 機動戦士Ζガンダム」では、その第二部作において「恋人たち」というサブタイトルの元に描かれており、公式的な一般見解では一応「恋人」という扱いになっているようである。
精神面
クワトロ→レコア
クワトロからレコアに対する感情に関しては、レコアからのそれと比較してもファンの間で一際激しい論争を呼ぶ問題である。
そもそもクワトロ・バジーナ、すなわちシャア・アズナブルの実質的な正妻はララァ・スンであるという見方が一般的であり、その他の女性キャラクター(レコアの他にもナナイ・ミゲルやハマーン・カーン、クェス・パラヤなどが挙げられる)に彼が感情を向けるというのはシャアララァ派からすれば許容しがたいものであるだろうというのは想像にかたくない。
加えてレコアは作中で半ば拉致された形とはいえ敵方のティターンズに寝返っており、その際にパプテマス・シロッコと関係(詳しくはシロレコを参照)を持ったともいわれるなど、男性ファンの多いガンダム界隈ではかなり毛嫌いされているキャラクターである。
この辺りも要因となってか、残念なことに「あんなクソビッチにシャアが本気なわけないだろ」などというなかなかに品のない意見が寄せられることも多い。
しかし作中描写を見る限りでは必ずしもクワトロ(シャア)からレコアに感情が向いていないというわけではないらしく、食事の際に隣の席に座っていいかと持ちかけたり、情緒不安定な様子を気にかけて部屋を訪ねたり(ともに32話)と、もともとクワトロがΖでは世話焼き親父的なポジションが与えられていたというのを差し引いたとしても、その他のキャラクターに対しては行わないような行動をしばしばとっている。
レコアが戦死したと確認された際には(結果的には勘違いだったが)一人で暗闇の中レコアの私室に佇み、カミーユから「あなたがもっとレコアさんに優しくしていれば、こんなことにはならなかったんだ!!」という言葉とともに拳を浴びせられるも甘んじて受け入れている。
その際の「サボテンが花をつけている…」というのは迷台詞として良くネタにされているが、レコアの死を悼んだクワトロが純粋に彼女を連想させるものの名を呼んだという見方も可能である。
レコアの寝返り後には一戦を交えたが、その際にも「ならばその業、せめて私の手で払わせてもらおう!!」などという彼なりの優しさともケジメとも取れる台詞を放っており、しかも結局レコアを撃ち落とすことは出来ずに「なぜ墜とせん!?私に迷いがあるのか…??」と動揺したような姿も見せている。
レコアのパイロットとしての技量に目を見張るものがある(メタスを爆破されたとはいえヤザンをアーガマの手前で食い止め、シロッコの命令でバスクの乗った戦艦を沈めてもいる)と言うのを差し引いても、かつては宇宙世紀最強のパイロットの一人と謳われたクワトロ(シャア)にまだほとんど素人同然のレコアを物理的に墜とせないと言うのには少々無理がある。(ここでアムロのことを引き合いに出すのはやめておきたい。彼は紛れもなく「宇宙世紀最大のニュータイプにしてパイロット」であったのだから)
そうした点を踏まえると彼がレコアを墜とせなかったのはやはり精神面の問題であり、裏切りと大量殺人(レコアが指揮を取った毒ガス作戦)という断罪には十分な理由をもってしても消し去れないほどの大きな感情をクワトロがレコアに置いていたということの証明なのではないかとも思える。
その戦いの後でクワトロはそれまでにないほど疲弊した様子で(これはロザミアを失ったカミーユも同じだが)操縦桿にもたれかかっており、それほどの精神的なダメージがあったというのも彼のレコアに対する感情の大きさを示していると言えるのではないだろうか。
ちなみにクワトロはレコアに対して「レコア少尉」「少尉」「レコア」と三種類の呼び方をしており、一応それぞれ使い分けをしているように見受けられる。
基本的には「レコア少尉」や「少尉」を使うが、仕事ではないプライベートな独り言(ジャブローからの救出時など)の範疇では「レコア」と呼ぶこともある。
クワトロとレコアの仲間としての最後の絡みでは、クワトロは撃墜されかかったレコアをメタスごと百式で抱えて救出しており、その際は任務中にもかかわらず「レコア」と呼びかけている。
その後クワトロの静止を聞かずにメタスで突撃をかけたレコアがそのまま拉致され、裏切りという結果になってしまったことには「止めようとするクワトロ」と「聞かなかったレコア」という一種の構図が成り立っているというふうに取れなくもない。
以上の点を踏まえると、それがかつてララァに向けていたような愛情と同質のものであったかどうかはさておき、少なくともクワトロがレコアになんの感情も抱いていなかったと断じるのはいささか早計であるのではないかと思われる。
レコア→クワトロ
レコアからクワトロへの感情はなかなか複雑である。
挑発的に体を寄せてみたり、キスを迫ってみたり(32話)と一見行動派に見えるが、その実クワトロからの接触には意外にかなり初心な反応を返している。
アクシズ潜入の際にクワトロを庇って腕を負傷した際にはそれを止血しようとしたクワトロに困ったとも照れたともつかないような表情を浮かべ(33話)、食事のシーンでは牛乳パックを取ろうとして指が触れたのを「あっ…」と慌てて引っ込めたりもしている(32話)。
原作者が“5、6回は寝てる”というのだし、そもそも境遇的にも(辱めに関することも含め)レコアが乙女であるわけはない。
よってレコアのこうした生娘のような反応描写にもなんらかの意図があると考えていいだろう。
そもそもレコアには基本的に“男性不信”“男性嫌悪”の兆候が多くみられる。
ジャブロー降下時に捕縛され、胸に触れてきた男性兵士に対して「触らないで!」と叫んだことはともかく、カミーユに腕を掴まれた時にすら同様に激昂している。
ティターンズ時代には衝撃でよろけた体を支えてくれた男性士官に対しても嫌そうに腕を振り払っており、ただの男嫌いというにはいささか行き過ぎた感がある。
彼女のこうした態度がいつからのものなのかは定かではないが、心理学的に考えるならばここまで行き過ぎた男性嫌悪の傾向はなんらかのトラウマによって誘発されたものである可能性が高く、“辱め”に関して劇中で明確に示唆されているジャブロー降下以前にも同様の被害体験を抱えているとも考えられる。
一年戦争時に故郷を失いゲリラ活動を経て軍人になっているという本人談(34話)を踏まえると、彼女がゲリラを始めたのは15の時のことであり、その際に、もしくはその後の連邦軍人時代になんらかのトラブルが生じたかもしれないというのはこれが現実世界であれば残念ながら十分に考えられるし、常に“無駄にリアル”(筆者は無駄だとは決して思わないが)を追求する富野監督の性格を考慮しても、そうした過去がある可能性は高いだろう。
その上で彼女のクワトロに対する反応を考えるならば、「レコアは“男”としてのクワトロに怯えつつ、同時にそれを打ち消すほど強く惹かれてもいた」と言えるのではないだろうか。
カミーユですら“男”として憤りをぶつけることのあるレコアにとって、クワトロが“男”でなかったはずはない。
しかしそんな“男”とおそらくは自ら望んで関係を持ち、触れられることに動揺しつつも拒んではいない(第5話、32話、33話、34話など)というのを踏まえれば、彼女がクワトロに抱いていたのはやはり“恋心”と名付けていいような種類の感情であったのではないかと思われる。
しかしその感情はもちろん“無償の愛”などというような深いものには至らず、任務の失敗やクワトロの放置プレイ(庇って狙撃されてもなかなか見舞いにもこない)によって“私は必要とされていない”という孤独感と絶望感を増幅させてしまう。
その結果“君の力が必要だ”と囁くシロッコに惹かれ、拉致の形ではあったものの翻意という形になってしまったのは互いにとって不幸であったのかもしれない。
クワトロと寝返り後に向かい合った際には「私がお前を殺すのだよ!シャア!」と叫びながら攻勢をかけるが、前述にもある通り仮にクワトロが本気を出していたならレコアに勝てるわけがない。
レコアが“クワトロは自分に気持ちを向けていない”と感じていたのであれば、この無謀は“クワトロに殺されたがっていた”とも取れる行為になってくるだろう。
傷ついた心を癒すためにシロッコに慰めを求めたレコア。
それが軍人としても女としてもクワトロを裏切る行為になってしまったことに弁解の余地はないが、彼女は結局最後までクワトロに対して気持ちを残していたのかもしれない。
小説版
一方の小説版では二人の関係は割とあっさりしている。
肉体関係を持ったことがある描写はされているものの、それは所帯を持たない大人の男女の刹那のお付き合いというニュアンスが大きい。
また、TV版や劇場版と違いレコアは自力で男性恐怖症の克服に成功しており、クワトロに依存することなくしばらくの間エゥーゴの一員として働いたのちに、グラナダで配置替えとなり結局彼女はティターンズに寝返らずクワトロたちと敵対しないままフェードアウト。
何らかの理由でクワトロの妹を認知していることから『クワトロのことはよく知っており、軽くお付き合いするのは構わないが深入りしすぎるとかえって彼と軋轢を起こしかねない』と心得ある程度間合いを図りながら付き合っていたことがうかがえる。
公式の見解
テレビアニメ及び劇場版においては前述の通り“5、6回は寝てる”間柄であり、劇場版2作目のサブタイトルを踏まえれば一応“恋人同士”という体がとられている。
まとめ
ララァ・スンやナナイ・ミゲルなど、シャアの恋人だか愛人だかは他にも枚挙にいとまが無いが、レコアは彼が“シャア・アズナブル”としてではなく“クワトロ・バジーナ”という一人の男として愛した(愛そうとした)女性だったのかもしれない。
ララァ・スンとの鮮烈な初恋(ファースト)、レコア・ロンドとの不器用な恋愛(Ζ)、そしてナナイ・ミゲルとの一方的に割り切った愛人関係(逆シャア)。
これらはそのどれが欠けてもシャア・アズナブルという男を形成することのできないものであり、「女」を常にその背後に匂わせる富野節が非常に効いてた仕掛けになっているのである。