グアダルーペカラカラ
ぐあだるーぺからから
メキシコ北西部、バハ・カリフォルニア半島の西方約240kmに位置する火山島「グアダルーペ島」に生息していた。
島の海岸は岩石の露出した崖が連なる。乾燥した気候であり、サボテンなども生育している。
グアダルーペ島にはグアダルーペカラカラ以外にもグアダルーペウミツバメ(Oceanodroma macrodactyla)やグアダルーペパーム(Brahea edulis)など、動植物共に様々な固有種が生息している。しかしながら、後述するヤギの移入などによりその多くが絶滅の危機に陥っており、現在では自然保護区に指定されている。
全長(嘴の先端から尾羽の先端まで):約54cm
翼長(畳まれた翼の全長):381-418mm
尾長(尾羽の全長):260-286mm
嘴峰長(嘴の先端から基部までの長さ):40mm
跗蹠長(踵から趾上部までの長さ):83-92mm
比較的大柄なためワシと見間違えられることもあり、かつてグアダルーペ島では「グアダルーペワシ」とも呼ばれていた。
全体的な大きさや容姿などはカンムリカラカラ(C. plancus)と似る。ただし、成体のカンムリカラカラの腹部は下腹部に近付くにつれ黒色が強くなり、首から続く帯状の模様は不明瞭となる。一方グアダルーペカラカラはカンムリカラカラほど腹部の色は濃くならないため、模様はかなり明瞭となる。
褐色を帯びた頭部側面と顎は皮膚が露出しており、剛毛が散在している。カラカラと同じくコンドルなども頭部の皮膚が露出しているが、この特徴は生態の項で詳述する食性が影響していると思われる。カラカラやコンドルなどは腐肉食性であり、頭部を動物の死骸に突っ込んで食事をすることが多い。その際、頭部に羽毛が生えていないことにより血液等が付着しにくくなるため、衛生的な状態を保つことができると考えられる。
後頭部にはカンムリカラカラなどにも見られる、黒色の平たい冠羽が存在している。
同じハヤブサ科であり、その中でも最大種であるシロハヤブサ(Falco rusticolus)の跗蹠長は約70mm程であるのに対し、前述したようにグアダルーペカラカラの跗蹠長は80mmを超える。グアダルーペカラカラに留まらず、多くのカラカラは比較的脚が長いことが特徴として挙げられる。この脚の長さは、地表で活動することが多いカラカラに適した形態であると考えられる。
卵の大きさは54-67mm×43-50mm程であり、白っぽい下地に赤褐色のしみや斑点がある。
巣立ち雛の足は不釣り合いなほど大きく、頭から脚までが金色の綿毛に包まれている。頭頂部には茶色の羽毛が纏まって生えており、成体の冠羽に通ずるものがある。
若鳥の上半身は成体よりも暗褐色かつ均一であり、下半身はくすんだ暗褐色に淡黄色の白い筋が入る。
タイプ標本(ある生物を新種として論文に記載する際に指定される、その種の基準となる標本)はスミソニアン国立自然史博物館に収蔵されており、幼鳥や若鳥を含む14体のタイプ標本の情報や写真はこちらで「Polyborus lutosus」と検索することで閲覧できる。
グアダルーペカラカラを含むカラカラは昼行性である。
主に腐肉を摂取する腐肉食性であり、それに加えて貝類や齧歯類、小鳥、昆虫やミミズなども摂取していたとされている。更にグアダルーペ島周辺にはアザラシが回遊しており、その死産した子やサメ等により傷害を負ったもの、更にはアザラシの糞に含まれる半消化状態の魚等も利用していたとされる。一部の文献では、子ヤギや傷害を負った同種などの比較的大型な生きた動物も襲っていたという記述もある。
冬には枝を用いて営巣し、4月には卵を2〜3個ずつ産む。雛は産卵から1ヶ月で孵化し、そこから2〜3ヶ月は巣の中で新鮮な肉で養われながら過ごす。営巣から抱卵、育雛は雄と雌が共同で行なう。通常、営巣は外敵の及びにくい崖の上などで行われていたが、一方で巨大なサボテンの上に営巣されていたという情報もある。
興奮時や攻撃時に時折鳴き声を上げる以外に鳴くことは殆どなかった。ただし、驚いた時や負傷した時には耳障りなほどの甲高い叫び声を上げ続けたとされている。
ヒトが移入するまで外敵らしい外敵が居なかったためか警戒心は薄く、それが絶滅に繋がったと考えられる。
前述したように、ヒトがグアダルーペ島に移入するまでグアダルーペカラカラを脅かすものは殆ど存在していなかった。
18世紀末から捕鯨船の中継地および目的地として島が利用されるようになり、また捕鯨以外にもアザラシやラッコなどの毛皮を目的とした猟師が島を訪れるようになった。その際の食料源としてヤギやウシが導入され、ヒトが島を出入りするようになったことでイヌやネコ、ネズミなども侵入。後にこれらの外来種が島の在来種に多大な影響を与えることとなる。
19世紀半ばには、ウシを除く多くの外来種が野生化した。また、ヒトによるアザラシの狩猟が続いたことによりアザラシの個体数は激減。それにより食料源としてアザラシを利用していたグアダルーペカラカラは、他の動物を食料として頼る他なくなってしまう。その食料には、ヒトによって持ち込まれたヤギも含まれていた。
ヤギの放牧によって生計を立てようとするヒトにとってヤギの脅威となる、または脅威となるであろうグアダルーペカラカラは害鳥でしかなかった。
ある時は毒殺、またある時は銃殺など、ヒトは様々な手法でグアダルーペカラカラを駆除していった。
グアダルーペカラカラの警戒心の薄さを如実に表した話がある。浅い水溜りに水を飲みに来たグアダルーペカラカラを射殺する際、仮に撃ち漏らしたとしても銃声には気付かず逃げもしなかったというものだ。他にも、仕留めた一羽を囮にし、そこに集まってきたカラカラを捕えて再び囮にすることで何羽も捕えるといった方法がとられていたなど、あまりにも警戒心が薄く、故に容易く狩られていった。
1860年代以降、ヤギを襲う害鳥としてひたすら駆除され数を減らし続けたカラカラには、いつしか標本としての価値が生じた。1897年には1羽につき当時の150ドル(現在の約15000ドルに相当)といった価格が付けられるなど、標本としての価値が増すにつれ金銭を目当てにグアダルーペカラカラを脅かすヒトもまた増えていった。
1900年12月1日。後に、グアダルーペカラカラ最後の目撃情報があった日となるその日の午後、グアダルーペ島を訪れた標本採集家のロロ・ベックは、自身の頭上を飛ぶ11羽のグアダルーペカラカラに発砲し9羽を射殺、残る2羽にも発砲したものの飛び去られた。
以降、グアダルーペカラカラの目撃情報はない。
文献ごとの情報の違い
ここまでグアダルーペカラカラについての情報を纏めてきたが、文献によっては一部の情報が異なる場合がある。
例えば、本記事ではグアダルーペカラカラの駆除が始まったきっかけとなるヤギへの被害について「ヤギの脅威となる、または脅威となるであろう」と表現を濁している。文献によって、その被害を悲惨なまでに書き連ねたものもあれば、あくまで被害を及ぼす危険があると決めかかって駆除を始めたとしているものもあるなど、被害の度合いの表し方は文献ごとに大きく異なる。そのため、前述したような曖昧な表現に留めた。
その他にも、本記事では最後の目撃情報があった年を1900年としており、多くの文献でも同様の記載をしている。しかしながら、一部では1903年を最後の目撃情報があった年とする場合もある。
グアダルーペカラカラ絶滅の余波
前述したように、グアダルーペカラカラは絶滅した。また、多くの固有種がヒト等の移入の影響を受け、中には絶滅に至った種も存在する。
その固有種の中でも、グアダルーペカラカラの絶滅に影響を受けた動物がいる。シラミ目のAcutifrons caracarensisである。グアダルーペカラカラを宿主としていたA. caracarensisもまた、グアダルーペカラカラと共に絶滅した。
Acutifrons属にはA. caracarensisと同様にカラカラを宿主とするものが存在し、その宿主となるカラカラはグアダルーペカラカラと同じCaracara属である。
あれはグアダルーペカラカラではない
現在ウィキペディアの日本語ページでは、アメリカ合衆国の鳥類学者であり画家でもあるオーデュボンが描いた絵が用いられている。
しかしながら、この絵に描かれているのはグアダルーペカラカラではない。
絵の下部をよく見ると"POLYBORUS VULGARIS"と記されている。また、全米オーデュボン協会のサイトでは、この絵に描かれている鳥はカンムリカラカラとなっている。
これらの情報や外見的特徴の不一致から、日本語版ウィキペディアに用いられている画像はグアダルーペカラカラではないといえる。
lutosusとlutosa
「各種名称等」の項で述べたように、グアダルーペカラカラの学名にはCaracara lutosaとシノニムとしてPolyborus lutosusとがある。注目していただきたいのは種小名である。属名がCaracaraの場合にはlutosa、Polyborusの場合にはlutosusとなっている。そもそもlutosusおよびlutosaは「泥だらけの」といった意味のラテン語である。ラテン語には男性形と女性形、中性形があり、lutosusは男性形、lutosaは女性形となる。
それでは何故、属名によって形が変化したのか。
Polyborusが初めて用いられたVieillotの論文「Vieillot's Analyse d'une nouvelle ornithologie elementaire」リンク先本文では、Polyborus(ラテン語)に加え、πολυβόρος(ギリシア語)という表記もされていた。
学名を記載する際のルール等を纏めた国際動物命名規約第4版の11.3.由来リンク先PDFにもあるように、学名の由来はラテン語以外にもギリシア語やその他の言語の単語等を用いることが可能であることから、Polyborus はギリシア語をラテン語表記にしたものであると考えられる。
ギリシア語にも男性名詞と女性名詞があり、男性名詞の場合、殆どは名詞の最後が"ς"で終わるとされている。
よって、Polyborusの元であるπολυβόροςは男性名詞であり、それによりPolyborusもまた男性名詞となっている可能性がある。
一方、Caracaraの語源についてd'Orbignyの論文「Voyage dans l'Amérique méridionale」リンク先本文では、Caracaraはパラグアイで元々用いられていた呼称であると述べられている。このパラグアイでの名称は後に属名にも用いられている。
パラグアイではスペイン語とグアラニー語が話されており、その中でもCaracaraはグアラニー語が語源であったと考えられる。そもそもCaracaraとは、当時のグアラニ族がカラカラの鳴き声をもとに作り上げた擬声語であり、グアラニー語にはラテン語のように名詞の性は存在しない。つまり、この段階ではCaracaraは男性名詞でも女性名詞でもないということになる。
それではなぜ、種小名は女性形となったのか。
ここで再度、国際動物命名規約を参照する。規約の30.2.4には、ラテン語でもギリシア語でもない単語から形成した学名の性について「性が特定も指示もされない場合、学名は、男性として扱うものとする。ただし、その学名が-aに終わるときは女性であり、-um,-on,-u のどれかに終わるときは中性である」と述べられている。
仮に、Caracaraに対して太文字で記した箇所が適用されているのだとすれば、Caracaraは女性名詞として扱われていると考えられる。
以上のことから、男性名詞であるPolyborusに応じた男性形のlutosus、女性名詞であるCaracaraに応じた女性形のlutosaになったと考えられる。
ただし、この種小名の解釈は記事の作成者の謂わば独自研究ともいえるものであるため、あくまでも可能性の一つとして捉えていただきたい。