プロフィール
原隊 | リベリオン合衆国海軍 航空母艦レキシントン所属飛行教官(1939年) |
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所属 | 第508統合戦闘航空団司令(1945年?) |
階級 | 大尉(1939年)→中佐 |
誕生日 | 4月19日 |
イメージモデル
名前:ジョン・スミス・サッチ
愛称:「ジミー」
撃墜数:6
対零戦空戦戦術「サッチウィーブ」、神風特攻の対応策である「ビッグ・ブルー・ブランケット」の考案者として知られる。
飛行学校の教官としての教え子に、後にサッチの僚機となるオヘアがいる。
概要
テストパイロットや飛行教官を歴任し、航空参謀としても活躍していた。指揮官や部下からの信望も厚い人物である。
キャサリン・オヘアが空母レキシントンに配属された時の教官であり、オヘアがスオムス義勇独立飛行中隊に送られる原因となった1939年10月の「レキシントン事件」では、「原因は(オヘアの使用していた)グラマーF4Fの技術的欠陥にもある」と指摘、オヘアを弁護している(この結果F4Fは大改修を受ける結果になった)。
のちに第508統合戦闘航空団(508JFW)「マイティウィッチーズ」 結成を発案。大佐昇進を断って司令として参加した。
関連タグ
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