セメレ
せめれ
テーバイの建国者カドモスとハルモニアとの間に生まれた王女の一人。原音に近いセメレーと表記されることもある。
類稀な美貌の持ち主だったが、その美しさが好色な大神ゼウスの目に留まる。ゼウスは人間の男の姿で彼女のもとに通い、セメレもその愛を受け入れて、やがてゼウスの子供を身ごもるようになる。たった一度でやり逃げすることも多いゼウスにあってこのときは繰り返し通っていたようだから、相当な入れ込みようだったことが窺える。
しかしこの浮気が嫉妬深いヘラに察知されない訳が無い。ヘラはここで夫をとっちめたところでどうせ浮気が止むことは無いのは承知しており、例によって愛人の方にターゲットを定める。今回は(どうせ拒否しようは無いとはいえ)セメレの方がゼウスを受け入れていたのは確かに事実である。
ヘラはセメレの乳母であったベロエの姿に化けて彼女のもとを訪れ、言葉巧みに事情を聞き出すと、「近頃神の名を騙って無垢な乙女を誑かす、良からぬ男が横行している」などという話を出して彼女の心に疑念を吹き込む(神話世界では本当にそういう輩がいたのかもしれないが……)。そして通ってくる男が本当にゼウスであるかどうか確かめるために、大神としての本来の威光を見せてくれるよう頼むと良い、と唆す。
純真なセメレはすっかり丸め込まれ、次にゼウスが通ってきたとき、それと言わずに頼み事をする。彼女に夢中のゼウスは、ステュクスの河に誓って叶えてやる、と約束。セメレはすかさず、大神としての本来の威光を見せてほしい、と願った。聞いた瞬間に後悔したゼウスだったが、件の河に誓ったことはゼウスでも取り消すことは許されない。仕方なく雷光に包まれた大神としての姿を現したが、それは生身の人間には耐えられるものではなく、セメレは焼け死んでしまった。ヘラはこうして、夫自身の手で浮気相手を抹殺させる復讐を果たしたのだ。
しかしセメレが身ごもっていた胎児は神の血を引いていたため焼死を免れ、月満ちるまでなんとゼウスの体内で育てられ(男でありながらある種の代理出産までできてしまうのかこの神様)、酒の神ディオニュソスとなる。
ゼウスが人間の女性(あるいはニュンペー)との間にもうけた子供は通例人間であるが、この場合は珍しく神となっている。これは本来テーバイ地方の地母神とされていたセメレが神話体系に取り込まれて人間の女性に変じたことの名残らしい。セメレがその後、息子ディオニュソスによって冥界から救い出され、女神の一人に加えられたという伝承もある。