チガヤ(洒落怖)
ちがや
この話は『私』が東京に逃げて来た後も、現在進行系で続いている祟りだと語る所から始まる。
『私』の生まれ育った故郷は、人口100人にも満たないような限界集落だった。
村の住人は大人だらけで、集落の子供は『私』、A、A弟、B、B姉、C、D、Eの8人しか居なかった。
基本的には『私』、A、A弟、B、Cの5人組で遊ぶことが多かったという。
そんな村には毎年6月の終わり頃、住民は集落の外れにある神社で『茅(チガヤ)』で編んだ大きな輪をくぐり、無病息災を願う茅の輪くぐりが行われていた。
茅の輪くぐりは、全国でもそこそこメジャーな夏越しの祓の儀式であり、どこの集落でもやっている様な祭りではあったが『私』の集落では、初めに差し出す足から『右廻り・左廻り』と唱えながらくぐる等と細かい作法がたくさんあったらしい。
ただ子供は厳格に作法を守らねばいけなかった訳ではなく『私』もそこまで詳しくは知らなかった。
ただ、絶対に破ってはならない禁が3つあった。
1・茅の輪をくぐったあと「そみんしょうらい、そみんしょうらい」と必ず2回唱える。
2・茅の輪をくぐったあと、真っ直ぐ進んで御神体に御参りを済ませるまでは絶対に振り向いてはならない。
3帰り際、茅を輪から引き抜いて持ち帰ってはならない。
この3つの禁は『私』の両親や祖父・祖母から絶対に破らない様に毎年キツく言われていたらしい。
そして話は7年前の5月の末頃から始まる。
『私』達はいつものように仲良し5人組で遊んでいた。
神社の側で、かくれんぼして遊んでいた『私』達は、茅の輪くぐりのための準備がされている様子を目撃していた。
一通り遊んで休憩になったがAがあることを提案する。
「チガヤ(子供たちの間では、茅の輪ではなくチガヤと呼んでいた)くぐるときさ決まり破ったらどうなるんかな?」と。
Aは普段から面白いことを考えつくのが得意で、新しい遊びなんかもよく思いついては『私』達の間で流行らせていた。
この時も、いつもの遊びに飽きてきて遊び半分に考えついたのだろう。
Aの提案にCは「大人に怒られるからやめよう」と忠告するもAは「1人でくぐるから誰も見てないだろ?」と反論する。
結局CやA弟は尻込みし、Bと『私』それに言いだしっぺのAは当然だが賛成した為3人で決まりを破ってみて、どうなるのか確認することになった。
しかし、大人たちに厳しく言われていたこともあり、一度に3つの決まりを全て破るのにはやはり抵抗があった。
そこで、ちょうど3人いるし1人で1つずつ破ってみることにした。
Bは1つ目の禁を破り唱え言葉を言わない。
『私』は2つ目の禁を破り輪をくぐってすぐに振り返る。
3つ目の茅を輪から引き抜いて持ち帰ってはならないという禁は、一番ハードルが高すぎるので発案者のAが破る事となった。
そして1ヶ月後の祭りの当日『私』達3人は、Aの計画通りに茅の輪くぐりの禁を破った。
その後に降り掛かる『祟り』など露知らずに...。
祭り当日『私』昼過ぎに神社に行くと、すでにBはくぐり終えていたらしく、境内に腰掛けて私に手を振っていた。
B曰く「唱えなかったけど何も起きなかった」と語り『私』は少々落胆する。
次にくぐる番は『私』であり、順序通りに奥の本殿前へと進む。
『私』は2つ目の禁を破ろうとしたが、途中で誰かに見られている気配を感じ始める。
『私』は恐怖に駆られながらも、唱え言葉を言いながらも輪をくぐり、背後を振り返ろうとする。
その瞬間、背後に何か物凄い気配を感じた。
直感的にヤバいと感じた『私』は咄嗟に前に向き直った。
向き直って暫く経った後、耳のすぐ脇を生温い風が掠め同時に人間のものとは思えない程の低い声が聞こえた。
その時、何と言っていたのかは今でも分からないという。
『私』は結局、恐怖のあまり振り返ることが出来ず、境内へと戻った。
Bにこの事を話すも半信半疑で笑い飛ばされしまった。
その後Cとも合流し、ちゃんとした茅の輪くぐりを済ませた後で、遅れてAがやって来た。
『私』が振り返なかった事を馬鹿にすると、なんと「振り向くのとチガヤを持ってくるのを両方やってくる」と言い出した。
これにはCと『私』は反対したが、Aは聞き入れず本殿の方へ歩いていってしまった。
この時にAを止めなかったのを『私』は生涯後悔する事になる。
B、Cと話していると、ほどなくしてAが戻って来たが別に変わった様子はなかった。
Aは「何もなかった」と言い、Aはポケットから引き抜いたチガヤを見せる。
見た瞬間『私』達はしばらく声を出すことができなかった。
何故なら草色をしていたはずのチガヤはどす黒く変色していたのだから。
どす黒く変食したチガヤに『私』達は困惑するも「お前(A)の体温で枯れたんじゃねえの?」というBの言葉を無理やり納得させ、変食したチガヤはその場で捨てた。
そして後からやって来たA弟には、話すと怖がって大人に知らせたら困ると思い、この事は皆で秘密にすることになった。
やがて最後の2、3組が茅の輪くぐりを終えると『私』達は自宅へと帰ったのだった。
それから数日経った後。
Aが遊びの途中に頭痛を訴え、外に出て来なくなった。
そしてAが体調を崩してから3日目の晩、Aの父親が血相変えて『私』の家に飛んできた。
『私』達家族は夕飯を食べていたが、玄関口で母と何事か話した後で、母が見たことないような怖い顔で「すぐに出るから、上着着てきなさい」と言った。
遅い時間帯に、外に出掛けるというのは只事ではない事態が起きている証拠だ。
母と『私』は、A父とともにAの家へと急いだ。
道中、母とA父は小声で話し続けていた。
その中で「耳」・「伝染」・「虫」・「A弟(名前)」という単語だけ断片的に聞き取る事ができた。
そしてAの家に到着すると、蒼白な顔で俯くA弟、B、C、何故かAの近所のSさん、それに神社の神主さんまでもが揃って座っていた。
開口一番「お前ら(茅の輪くぐりの)決まりを破ったろう!?何をした!」とSさんは『私』達に怒鳴りつけた。
次に神主が「A弟から、君たちが決まりを破る計画を立てていたことは聞いた、具体的に何をしたのか教えてほしい」と『私』達に説明を求めた。
神主の言った通りに『私』達はB、Cは代わる代わる事の顛末を話した。
Aがチガヤを引き抜いた下りを話している時、青かったA父の顔色は更に紙のように真っ白になっていた。
Aの今の状態について神主は「Aはもうどうすることもできん…古い、強い呪いだ、一度発症すると対処法はない」と告げる。
言葉の通りにAは既に手遅れらしく、A母は「…そうですか」と取り乱す事なく呟いていた。
皆が黙りこくっている中で、神主は「君たちは黒くなったチガヤを見たんだな?清めをするから今から本殿に向かう、念のためA弟も来なさい」と告げ『私』達は神社へと向かう。
この状況でも『私』は禁を破らなかった事に安堵していた。
本殿に着くと、既に何らかの連絡があったらしく、大人が3、4人くらい集まっていた。
『私』達は本殿の奥、明かりもない真っ暗な部屋へと通された。
Sさんや大人達は『私』達に何度も何度も酒や酢のような液体を飲ませ吐き出させた。
神主は「辛いだろうが一晩だけ我慢しなさい、君たちの生死がかかっているんだ」の励ましの言葉と共に外でずっと祈祷のようなものを行っていた。
そして『私』達が、本殿で地獄の様な一夜を明かした後。
神主は今回の出来事、茅の輪くぐりの本当の由来について語り出した。
ある時、山に隔絶されたこの土地で原因も正体も分からない疫病が発生し、どんどん拡大した。
住民は病に怯え、助けを求めるも当然山向こうの集落の人間は、こちらに来ることを拒んだ。
そんなある時、集落に1人の男が現れ、未だ茅の輪くぐりが伝わっていなかった集落にこれを広めた。
すると、疫病の流行はこれを境にぴたりと止まる。
茅の輪くぐりは風習として続けられたが、くぐり終えた後変死を遂げる者が続出する。
その死に方が酷いもので全身に発疹ができ悪臭を発しながら皮膚が爛れるのだ。
あるとき変死者の腹を裂くと身体の中を無数の虫が食い荒らしていたらしい。
さらに、変死者の誰もが、茅の輪くぐりの後、背後におかしなモノを見たと言う。
住民たちはこれを病を広めた祟り神の怒りだと考えた。
茅の輪をくぐって振り向くと、浄化された空間に入れずに怒っている祟り神の姿が見えるらしい。
その姿を見た者は祟りを受け不治の病に侵される。
茅の輪は、チガヤを清め祈祷を込めて編み込まれている。
引き抜かれ、浄化の力を失ったチガヤは、茅の輪の内側を狙う祟り神にとって格好の依り代になるらしい。
故にチガヤを引き抜いたAは最早救う術は無いそうだ。
B、C、A弟は次の日から高熱を出した。
Sさんは、悪いモノを出し切ったからB、C、A弟はもう大丈夫だと言った。
そして、2週間後Aが亡くなった。
その最期は大量の虫を口から吐いて死ぬという壮絶な物だった。
B、C、A弟の熱は3日続いて治ったが『私』達はその後も大人に言われて神社に通った。
しかし『私』だけは数日経っても何も起きなかったのだ。
私を見る神主さんの目は、日に日に厳しいものになっていた。
一月が過ぎた頃、神主さんは『私』だけを呼び出し、ある事実を告げる。
「ここを出た方が良いかもしれん、一月様子を見たが一向に(祟り神が)離れる気配がない」と。
神主曰く『私』だけが異変が起きなかったのは依り代として祟り神に狙われたというのだ。
そうなると神主でも祓う事が出来ず手の施しようもない。
『私』が憑かれるとこの集落は全滅する。
突きつけられた宣告に『私』は茫然とするしかなかった。
最後に「遠い土地で、ここを忘れて生活しろ」
「それでもいつかは限界がくる」
「奴は縁を辿るんだ、君の延命と、我々のためでもある」とこの集落から離れる事を勧めた。
その後『私』と父は2人きりで東京に移り住んだ。
父は他所の土地の出身、母は集落の出身だったので、粘りに粘って父だけが付いてくることを許された。
今思えば、父はきっと私のために死ぬつもりだったのだろう。
その父が3ヶ月前に他界してしまった。
ほぼ天涯孤独も当然となった『私』の元に、封筒が落ちていた。
宛名もなければ送り主も書いていない。
中には、思い出したくもない、忘れるはずがない真っ黒に染まったあのときのチガヤの穂が入っていた。
話は一旦ここで終わり『私』は身辺を整理して故郷に帰るという。
祟り神に誘われたのか、はたまた自分自身の意思なのか。
彼女は故郷に災いを齎す為に舞い戻ろうとするのだった。