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概要

90年代末〜2000年代初頭にヴィジュアル系シーンで活躍したバンドPIERROTのファンを指す。「ラー」と略されることもある。

PIERROTが急速に動員を伸ばしたバンドでもあり、その人数の多さ(ピーク時には横浜アリーナを埋めるほど)からPIERROTのメジャーデビュー前後の数年はDIRENGREYのファン「」と共にシーンで二大勢力とも言われていた。

当時は双方のファンとも若く血気盛んな年代だったこともあり、「年齢が近い5人編成の年子バンド同士でメンバーが全員キャラ立ちしている」「攻撃的なライブのスタイル」「熱狂的なファンが多い」と共通項も多くあったピエラーと虜が対立関係にあるという話が半ばネタや誇張混じりに広がっており、双方の曲名から取って「丘戦争」などと呼ばれていた。

ただ、ファン同士の喧騒をよそに2バンドのメンバー同士は結構仲が良かったらしく、近年はSNSやyoutubeで共に登場することもある。

各メンバーファンの呼称はキリトファンが「キリター」、アイジファンが「アイジャー」、ファンが「ジャー」、KOHTAファンが「コーター」、TAKEOファンが「タカー」と呼ばれていた。

これらのキリトが付けた事実上の公式の呼び名の他に、ファンから自然発生した「キリト・KOHTAの兄弟を両方とも好きなファン」のことを「ムラター」という呼称もある。

ライブのスタイルもあり熱狂的なファンも多く、バンドグッズの購入率も非常に高くライブの物販ブースは常に長蛇の列。

ツアーがあると各地に遠征する者も多かった。

PIERROTの解散後はバンギャルをやめて思い出に浸る者やメンバーそれぞれの新バンドについていく者もそれなりに多くあったが、ライブのノリやキャラ立ちなどの共通点のある他のヴィジュアル系バンドに惹かれて流れていく者もいた。

現在プロになったバンドマンの中にもPIERROTの熱心なファンだった者は多く、「ラー麺」(麺=2ちゃんねる発祥の言葉でバンドマンの意味)とも呼ばれている。

「後進のバンドに流れたピエラーが、流れ先のバンドのメイン作詞作曲者がラー麺だったことを後で知って驚く」という話もちらほらあったらしく、exist†traceのmikoや摩天楼オペラの苑もそのような話を少なからず自分のファン達から聞いていることを明かしている。(参照

2014年の一時復活ライブの発表時と公演当日には多数のバンドマンの狂喜乱舞がSNSで見られ、ただのファンに戻って大はしゃぎしていた者も続出。

現在もYoutubeなどでPIERROTの曲のカバーを披露する者もいる。

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