ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

マルキ号製パン

1

まるきごうせいぱん

大阪市の堀江にあった当時・東洋一のパン工場。日本で初めて国産イースト菌を開発・製造した。

概要

明治38年(1905年)創業。

大正4年には大きなパン工場が、現在の堀江公園の北側(目の前・およそ500坪)と、現在の堀江CORがある場所にあった。

ピーク時には大阪市内に45店舗展開。

あんぱん(2銭)が人気で、宮内庁御用達にもなっていた。

水谷政次郎

日本初

  1. 電気自動車(当時最先端の乗り物)で毎日パンの配送
  2. イースト菌でパンを柔らかく:パンが海外から入ってきたのは江戸時代末期だったが、ちゃんとした製造方法が伝わっておらず、見よう見まねで製造されていた(使っていたのは小麦粉米麴)。そんなとき明治42年(1909年)天満橋を火元に約13000世帯が被災(キタの大火)。水谷は被災者に無償でパンを配布。当時の新聞に掲載され、水谷のパンは一躍有名に。こうして自分の作るパンに自信を持った水谷だが、本場の外国人からは『美味しくない』との評価が。そこで水谷はアメリカにパンを学びに行き、昭和2年に日本で初めて国産のイースト菌を作った。イースト菌のおかげでパンがふっくら美味しくなり、米麴の酵母では8時間かかっていた発酵時間がわずか一時間に短縮され、大量生産が可能になり、オートメーションのパン工場を作った。それが大正4年に完成した『東洋一のパン工場』。日本のパン作りの礎を築いた。
  3. イートインシステム:水谷がアメリカから持ち込み日本で初めて始めた。大正14年牛乳とパンをセットで販売し、中で食べられるように店をオープン。その名も『ミルクホール』

戦争

栄華を極めたが、大阪大空襲で工場や店舗は全焼。日本にパン食文化を根付かせた後、ひっそりと幕を下ろした。

コメント

コメントが未記入です
マルキ号製パン
1
編集履歴
マルキ号製パン
1
編集履歴