マルキ号製パン
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まるきごうせいぱん
大阪市の堀江にあった当時・東洋一のパン工場。日本で初めて国産イースト菌を開発・製造した。
水谷政次郎の功績
日本初
- 電気自動車(当時最先端の乗り物)で毎日パンの配送
- イースト菌でパンを柔らかく:パンが海外から入ってきたのは江戸時代末期だったが、ちゃんとした製造方法が伝わっておらず、見よう見まねで製造されていた(使っていたのは小麦粉・米麴・塩)。そんなとき明治42年(1909年)天満橋を火元に約13000世帯が被災(キタの大火)。水谷は被災者に無償でパンを配布。当時の新聞に掲載され、水谷のパンは一躍有名に。こうして自分の作るパンに自信を持った水谷だが、本場の外国人からは『美味しくない』との評価が。そこで水谷はアメリカにパンを学びに行き、昭和2年に日本で初めて国産のイースト菌を作った。イースト菌のおかげでパンがふっくら美味しくなり、米麴の酵母では8時間かかっていた発酵時間がわずか一時間に短縮され、大量生産が可能になり、オートメーションのパン工場を作った。それが大正4年に完成した『東洋一のパン工場』。日本のパン作りの礎を築いた。
- イートインシステム:水谷がアメリカから持ち込み日本で初めて始めた。大正14年牛乳とパンをセットで販売し、中で食べられるように店をオープン。その名も『ミルクホール』
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