ミヤコ蝶々
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みやこちょうちょう
日本の女優、漫才師、コメディエンヌ。(1920年〈大正9年〉7月6日 - 2000年〈平成12年〉10月12日)
本名は日向 鈴子(ひゅうが すずこ)。兵庫県神戸市出身。
長らく上方漫才・喜劇界をリードし、関西を代表するコメディエンヌであった。
1927年(昭和2年)、父親は家具屋をたたみ、思いつきで芝居一座を結成。
1942年(昭和17年)に吉本興業に入り一座を解散し、三遊亭柳枝と結婚した。終戦後は柳枝劇団を旗揚げするが、柳枝の浮気が元で離婚した。
1947年に弟子だった鈴夫(本名・吉村朝治、のちの南都雄二)と再婚(事実婚だったという)し、夫婦生活を始めた。1948年(昭和23年)に「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビ結成して、三重県津市の曙座でコンビで初舞台を踏んだ。
1952年(昭和27年)、秋田實が主宰する「宝塚新芸座」に参加し、大阪・道頓堀の中座を拠点に活躍した。民間ラジオ放送草創期の人気番組『漫才学校』『夫婦善哉』(いずれもABCラジオ)の司会などで知名度を高めた。 特に1955年(昭和30年)に始まった「夫婦善哉」はラジオからテレビへと20年の長きにわたって続く長寿番組となった。
1974年(昭和49年)に道頓堀の中座で1ヶ月公演を実施、脚本・主演・演出の3役をこなし、好評を得たことから、その後25年間定期公演を続けた。一方でタレントとしても『2時のワイドショー』での辛口コメントなどで健在ぶりを発揮していた。
1971年に第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。1984年(昭和59年)に紫綬褒章を、1993年(平成5年)に勲四等宝冠章を受賞。
2000年10月12日午後1時7分に慢性腎不全で、大阪市天王寺区のNTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)で死去、80歳没。
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