メトロライナー
めとろらいなー
トップ画像の右側の車両である。東海道新幹線の開業を受け、アメリカ版の高速鉄道として1965年に開発が始まった。最高速度200-240km/hでの運行を目標としており、アメリカの長距離列車としては非常に珍しい電車方式を採用した。
車体は先駆的なステンレス車体の通勤電車、パイオニアⅢ(東急7000系の原型)を開発したバッド社の設計による、シンプルな中にも個性をもつデザインである。またアメリカの普通鉄道で初めて、ドアステップを廃止し完全な高床車として設計された。また状態が決して良いとはいえない在来線で高速運行をするため、台車は古典的なイコライザー台車となっているのも特徴の一つといえよう。ニューヨーク~ワシントン D.C.間用に50両、ハリスバーグ~フィラデルフィア間の通勤列車用に11両の、合わせて61両が製造された。
試験走行ではパンタグラフが離線したり、すれ違い時の突風で旧型電車の窓が破損したりと、多くのトラブルに悩まされ、特にハリスバーグ~フィラデルフィア間では勾配で機器が過熱する問題もあり、とりあえず全車がニューヨーク~ワシントン D.C.間で走行することとなった。
1969年にようやく営業運転に漕ぎつけたものの、案の定信頼性は極めて低く、まともに営業運転に入れるのは全車両の3分の2というありさまだった。安定して運用できるようになったのは、ペン・セントラル鉄道の破綻に伴って運行を引き継いだアムトラックによって改良が重ねられ、最高速度が190km/h→180km/h→160km/hと段階的に引き下げられて以降のことである。
しかし当初の計画通りの高速運転ができなくなったことでわざわざ専用の電車を維持する必要性は失われた。新型のAEM-7型電気機関車と、メトロライナーと同様の車体を持つアムフリート客車の導入を受けて1981年にニューヨーク~ワシントン D.C.間から撤退、ハリスバーグ~フィラデルフィア間を走るようになった。しかし通常の車両より故障が多いことは確かであり、まもなく電車としての運用を終えた。今日では制御車の一部がアムフリート客車に改造編入されて現存する。
技術的には大きな賭けに出て失敗した感のあるメトロライナーであるが、洗練された車体のデザインは、今も東海岸を中心に活躍するアムフリート客車に息づいている。