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ブラジル出身の総合格闘家である。PRIDEミドル級王者、2003年PRIDEミドル級GP優勝。通称「戦慄の膝小僧」。


子供の時は自身の事を醜い(不細工)と思っていて内気で少し太っていて初恋の相手と話す事も出来ないくらいシャイで、ブラジルの子供なら誰もがやるサッカーもまるでセンスなし勉強もダメで何の才能もなかったそう。

ブラジルの子供は大抵みんなそうだが、親は共働きで少し貧乏で10歳の時には親の手伝いをしていた。

そんな少年がムエタイと出会い自信をつけ変わっていき、シュートボクセアカデミーで総合格闘技にも出会い、いつしか初恋を実らせ結婚(2001年~2002年頃)に至っていた。


略歴編集

ブラジルのノールール系の大会で実績を重ねUFCに出場していた、1999年PRIDEにも出場するようになった、2000年PRIDEGPの時点ではリザーバー戦に出場していた。


2000年12月ダン・ヘンダーソンに判定勝ち、2001年3月桜庭和志戦で圧勝し、11月ミドル級王者決定戦でも桜庭を返り討ちにし、PRIDE初代ミドル級王者となった。


2000年10月の無効試合と2002年4月ミルコ・クロコップ戦のドロー以外は勝ち続け、2003年ミドル級GPでも桜庭⇒吉田⇒ランペイジ・ジャクソンの3人に勝ち優勝。

2004年ランペイジ・ジャクソンとのミドル級タイトルマッチ、2度目の対戦も逆転勝利。


2004年12月対戦相手が急遽桜庭から変更、30キロくらい重いマーク・ハントとの対戦になるもギリギリの判定に持ち込み、1-2の判定で負けPRIDE初敗戦となった。


2005年PRIDEミドル級GPで吉田・中村に勝ち準決勝に進むも、ヒカルド・アローナに判定負け同階級で初敗戦となった、が12月にリベンジ勝利する。


2006年は無差別級GPにヒョードルの代打で出場、準決勝でミルコ・クロコップに左ハイキックでKO負け。2007年2月ダン・ヘンダーソンにKO負け、5年くらい保持していたミドル級王者から陥落する(シウバは風邪を引いて体調最悪だったが)。


PRIDE消滅後はUFCに戻って出場している。


日本人12人に勝っている日本人キラーでもあった。



入場曲はサンドストーム。


親日家で有名。

日本の習字が意外と上手い事が判明している。

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