丹鼎司
たんていし
「「龍虎交わり、玄黄再生す」」
仙舟六司の1つ。かつて仙舟人が長命種でなかった時代、老・病・死の三苦を和らげるため、彼らは薬乞いの旅へ出た。長命を手に入れた彼らは、星神の奇跡を利用し「仙道」を極めた。しかし現在、丹鼎司は衰退の一途を辿り医術を専門に研究し、病の治療をしている部門となった。
彼らは現在仙舟の人々を治療し、症例研究や医学論文を集めることを主な仕事としている。それゆえ仙舟のいたるところに薬屋を持っている。
丹鼎司は仙舟の医療資格に関する権限を持ち、医士国家試験を実施している。天ちゃん(NPC)のような独立開業医でさえもその権限に従う必要があり、不正な医療行為が疑われる場合には試験の再受験を強行させる権利を持つ。ただし、寿考堂や冷の薬材屋のような企業には医薬品の販売を認可している。
また、椒丘や雨菲のような軍医の役割を担う者もおり、雲騎軍に同行して戦場に出たり、野戦病院のような場所で彼らを治療することもある。
医療行為
確認されている処方箋と効能を記述する。
承認薬
岐黄解毒丸 | 万能解毒剤。人体に入り込んだ有害物質のほとんどを分解できる。その作用を試そうとする人が後を絶たなかったため、製造元はパッケージにある文言を追加することを余儀なくされた。「本製品の効果を検証するための服毒はおやめください!」使用後、次の戦闘で味方全体が3ターンの間デバフを受けない |
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玉髄風骨散 | 晴柔角と寒食玉を焼いて粉状にしたものに、大量の薬草抽出物を混ぜて作った軟膏。色は深緑で香りがよく、筋肉の損傷および骨折の癒合を促進する効果がある。内服厳禁!!使用後、次の戦闘で味方全体の効果抵抗+30% |
薬草抽出物 | 薬草は仙舟医学の基礎である。これらの抽出物は各種薬草の有効成分を抽出したもので、その薬効も向上している。「『伝統』の価値は過去を受け継ぎ、未来を拓くことにある。その場に留まることではない」金人巷にある「寿考堂」で交換可能 |
その他の薬
※アーカイブ『要薬分剤』から抜粋。
石牛昇麻散 | 当該薬方は長い歴史があり、仙舟人の過剰歯現象を緩和するために作られた。星暦6652年、司鼎白澤が薬方を調整し、曜青で栽培した浮雲苓の抽出物と伊須磨州の地塩結晶でセンキュウ、牢牙散を代替した。調整後の薬方は埋伏歯などの症状を防げる(維持期間は約20年)。 |
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還神通気散 | 当該薬方は同盟建立以前に作られた。カンパニーとの第一次貿易協定の後、丹鼎司が博識学会・博学士軍団の学術訪問を受けた時に交流して得たもの。丹士慕煙は元の薬方にあった、神経系に鎮静作用がある化合物を薬草に転入し、「安神草」と呼ばれる新たな薬用植物を開発した。 |
救苦回生丹 | 当該薬方は「建木」が茂る時代に作られた。主要成分は「建木」の新芽より抽出されている。帝弓が「建木」を切断した後でも、丹鼎司はその残骸を研究し続け、薬用成分を革新した。当該薬方は長命種にのみ有効、短命種が服用してはいけない。 |
注意または禁忌薬
※アーカイブ『要薬分剤』から抜粋。
乗蹻御風術 | 「神降時代」の薬方。金針を通して造翼者の髄液を注入し、3刻待てば、造翼者の特徴を獲得する。体が風のように軽やかになり、両翼が形成され空を飛べる。当該薬方の研究、討論、使用を禁ずる。違反者は十王司の厳罰を受ける。 |
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地黄将軍飲 | 当該薬方は未だ臨床試験段階にある、一年後に効果が見えない場合は廃棄処理しても構わない。速壮高は作物栽培に使われる合剤であり、毒や副作用はないが、白露がこの薬方の有効性を確認するまで、勝手に服用してはならない。 |
前塵回夢針 | 持明の伝説によると、これは縁が尽きることを嘆き、転生しても前世の縁を繋ぎたいと願った丹士清露が、その伴侶のために作った薬方。当該薬方は持明族の風俗と規制に反するため、一族の存亡に関わる大事以外では勝手に使用してはいけない。持明族の者の意欲に反し、欺き、脅迫などの手段で前塵回夢針を使用させた場合、持明族の族規に違反したことで輪廻の刑を受ける。 |
劫障救苦散 | 蒸留水で膠状になるまで煮え、薬かすを捨てる。膠質を冷凍、陰干した後、研磨して粉末状にし、粉末吸入器で使用する。苦痛を感じた時に服用。魔陰の身を治癒する薬は存在しない。当該薬方は苦しみを緩和し、精神を落ち着かせるだけ、命は救えない。仙舟律の規定により、民間で当該薬方を配合することは禁止されており、必要の場合は所在地の医館に申請するべき。 |
還魂正気散 | 魔陰の身の末期症状を遅らせる。服用後は速やかに後のことを準備するべき、次発症したら解薬はない。仙舟律の規定により、民間で当該薬方を配合することは禁止されており、必要の場合は所在地の医館に申請するべき。 |
星暦2610年頃「豊穣」は「建木」を生やす。長命種を研究していた丹鼎司は「羅浮」の最も重要な機関になる。仙舟人を長命種に変え、木の新芽から「救苦回生丹」など摩訶不思議な技術を開発した彼らは丹鼎司に丹炉を建て、建木の力を吸収し、奇想を現実に変えた。煙が絶えることがないことから、その場所は「雲霞紫府(うんかしふ)」と名付けられた。
星暦3400年、巡狩の星神「嵐」が初めて降臨し、「建木」を切り倒した。
丹鼎司はその後大きな変貌を遂げたが、メンバーは建木の探求を止めなかった。にもかかわらず、「羅浮」は丹鼎司の権力分割を怠り、司の構成員の行動に対しても監視や教育を厳しくしなかった。こうした不注意が、8100年の「建木の復活」に繋がってしまった。
星暦6610年、羅浮丹鼎司「観頤台」で史料や典籍を整理していた時に、書庫で「黄気陽精経」を発見。丹鼎司で当書を処分するかについて激しい論争が起こり、司鼎・白澤が折衷案として原本を処分し、当書の全内容を写し、封存した。この史料を閲覧できるのは司鼎、医士長、丹士長、医助長およびこれら以上の権限を持つ官僚のみ。
星暦6652年、司鼎白澤が薬方を調整し、曜青で栽培した浮雲苓の抽出物と伊須磨州の地塩結晶でセンキュウ、牢牙散を代替した。
詳細は上記の「石牛昇麻散」を参照。
星暦8100年、星核による「建木の復活」が発生。事件を引き起こした薬王秘伝の信徒の約半分が丹鼎司出身であった。嫌疑なしとされている丹鼎司構成員に対する取り調べ記録によれば、丹鼎司には長い間、旧時代の権力と地位に対する渇望、現状への不満、薬王秘伝や元凶である丹枢への同情の雰囲気が漂っていたそうだ。薬王秘伝は丹鼎司で深く根を張っていたことが明らかだった。そして、この件に持明族の龍師も関与していることが判明した。
事件後星暦8100年8月2日、霊砂が丹鼎司司鼎に就任。組織内の腐敗を一掃する。
また彼女は星天演武典礼の最中に羅浮に到着し、着任早々、薬王秘伝から没収した禁書を太卜司の保管庫に持ち込んで封印するよう命じた。