「「心眼に刃游がせ、奇巧を格物せん」」
概要
仙舟六司の1つ。工とは工業、造とは製造。開拓者が想像し得る武器・船舶・機巧・人工知能など、すべての製造できる物はここの職人によって造られている。彼らは「巧奪天工」の技術を求め、「百冶大煉」の儀式を完了し、「百冶」の称号を得るために日々奮闘している。
プロフィール
主な業務と伝統
工造司は、工芸品と製造などすべてを扱っている。武器、船の部品、独創的なロボット、人工知能など、製造可能なものはすべてここの職人たちによって生み出されている。
「逐星の矢」は、仙舟の匠の頭「百冶」だけその欠片を鍛え、多くの功績を残した大英雄に贈与する資格がある。
その昔、朱明の名匠である陽翟は、ある長い歴史を持つ国の皇帝から、航行の証として武器の鋳造型を賜った。それから数千年、長生の大きな変動によって帰還の見込みは立てられていないが、名匠の伝統が途絶えることはなかった。仙舟「朱明」では、工芸技術は最高の学問とされている。
歴代の将軍は全員が工造司百冶の位を持ち、外では大軍を指揮しながら、中では工具を操ることで、人々から尊敬されているのだ。仙舟の巡狩に必要とされる武器の6~7割は、朱明の工造司で鍛造されている。
そのため、焔輪鋳煉宮は銀河における技術の聖地となったのである。
鍛冶は文明の基準であり、「炎」は文明の起点である。大多数の若い文明が最も頭を悩ませるのは、恐らくエネルギーに関する問題だろう。人々は文明をより高度なものにするため、苦労を重ねてエネルギー源を探していた。そして仙舟「朱明」はその壁を乗り越えた――歳陽の祖「火皇」を囚えたことで、職人たちは無尽蔵のエネルギーを手に入れたのだ。
焔輪鋳煉宮は四方八方に伸びる軌道のように、恒星を最大限に取り囲んでいる。細かい枝葉の上には、受信と変換のための装置がいたる所に設置されており、太始の炎「火皇」からあらゆる技術創造のためのエネルギーを引き出しているのである。
「偽陽」を呑み込んだ朱明工造司は、数多の職人たちから至上の殿堂と見なされ、神器鍛造を志す者たちが押し寄せてくるようになった。金属と木材は加工されることで、初めて「物」に成り得る。焔輪鋳煉宮は職人に必要なものをすべて取り揃えているのだ。
さまざまな世界の学徒が鋳煉宮に集い、同門となって技術を競い合う。宝器を求めて来た異邦人も、大金をはたいて職人に優れた武器を作らせた――しかし数千年もの間、多くの学徒の中で「匠の中の匠」懐炎将軍の指導を受けられたのは、ほんの一握りだけだった。
彼は言葉と行動を以って工芸技術と武芸を後進たちに教え、門下の学徒たちは「百冶」として歴史に名を刻む職人になるか、「焔輪八葉」のように同盟に名を轟かせる雲騎兵となった。
仙舟「朱明」の工造司の「歳火監」は、朱明十王司の猟火判官から渡された「いかなる感情にも染まっていない無垢な歳陽」を、朱明の街頭、乗り物を始めとした、さまざまな道具と組み合わせる役割を担っている。
工造司の技術は仙舟幾千年の結晶と言ってもいい、それゆえ外部の人間が製造工程を見学することは難しい。
階級と所属キャラ※在籍していたキャラ含む
歴史
はるか昔、無名の古国の皇帝が、ある武器の鋳型を出航祝いとして朱明の大匠作陽翟に贈った。その贈り物こそ、朱明の工造司の基盤となる「焔輪鋳煉宮」だった。
朱明の職人たちは形も定義も自由に改船を施し、住民たちが出発して7000年後、その船は見違えるほどの変貌を遂げた。
歳陽戦争終結時、敗れた指導者・火皇は幽閉され、仙舟「朱明」の動力源として永遠の命を全うするよう言い渡された。朱明の職人たちはあらゆる手段を使ってこれを炉に幽閉し、その力でさまざまな神器を鍛えた。仙舟「羅浮」も幽閉された歳陽を動力源にしている噂がある。
星暦3400年~4000年にかけての信仰危機到来。仙舟人はその間だけ「存護」が主流信仰となる。
その後、存護の名残りの1つである朱明の「補天殿」は朱明工造司附属学宮となった。
曜青工造司は持明の匠3,000名と共に20年ほど費やし、青玉と月長石で天風閣を建造した。この宮閣は先代曜青龍尊「天風君」が血戦の末、忌み物の砦獣「百腕」を破壊したことを記念するために築かれた。精巧かつ雄大な佇まいは曜青持明建築風格の芸術的な代表と称賛されている。宮内は頌風者がいわゆる「羽路」を設置し16の浮島を繋ぎ、たとえ飛行/浮遊設備を使わなくても、自由に空を歩けるようになってる。
天風閣は曜青で最も有名な観光地の一つになった。
オウェンリ星の近くで、曜青「鶴羽衛」が敵の主力を抑え、豊穣の民と膠着状態になる。援軍と軍資を要請するため、軍務庁は13人を使節団として「朱明」に送った。彼らは懐炎の弟子である応星に迎えられ、薄暗い円形の大殿の入り口に案内された。そこで火皇を目撃する。危機迫るなか懐炎と合流し、青瑛舵取の要請に応じて、戦闘艦三百隻、雷弩二万本、陣刀二万柄を割り当てられたが、増援は使節団と同じ人数だけだった。