概要
経歴
天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱後に淳仁天皇が廃位を受け三長真人の姓を名乗り兄弟2人と共に丹後国へ流罪となった、宝亀2年(771年)に皇族の身分に戻るが同年に山辺真人の姓を名乗り再び臣籍降下をする、翌年の宝亀3年(772年)に従五位下、宝亀7年(776年)に再び皇族の身分に戻った。
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