概要
経歴
天平宝字3年(759年)に従四位下となるが天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱後に淳仁天皇が廃位となり三長真人の姓を名乗り弟2人と共に丹後国へ流された、宝亀2年(771年)に皇族の身分に戻ったが同年に山辺真人の姓を名乗り再び臣籍降下、翌年の宝亀3年(772年)に従五位下、宝亀5年(774年)に再び皇族の身分に戻った、内蔵頭、大膳大夫などを歴任した。
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