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侯景

こうけい

中国南北朝時代の末期の武将。宇宙大将軍を自称した。ある意味五胡十六国時代や南北朝時代を象徴する人物。
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概要編集

生没年:504年~553年

出身地は朔方(陝西省)の出とも鴈門(山西省)の出とも言われる。生家は胡族化した漢族とも、漢化した鮮卑系の貴族だったとも言われている。

五十年ほどの人生で、功罪色々と有ったようだが、この人物の名前を知っている人の大半は「宇宙大将軍を自称した」以外の事は、ほぼ覚えていない。

なお、英語版Wikipediaでは、この「宇宙大将軍」という称号は「General of the Universe Past, Present, and Future」という更にモノ凄い訳になっている(往古来今宇宙将軍といったところか)。

生涯編集

宇宙大将軍自称前編集

侯景は北魏の将軍・爾朱栄の軍に入り頭角を表す。爾朱栄が孝荘帝に殺害され、北魏が東魏西魏に分裂すると東魏を興した高歓の配下に加わった。


しかし、高歓やその子・高澄に警戒されていたが、高歓死後高澄に対して反旗を翻し、南朝のの武帝の元に逃げ込む。この時、置き去りにされた妻子は処刑されている。

侯景を迎えたことで梁は東魏との関係が悪化し、北魏の名将・慕容紹宗に攻められ梁は蹂躙されてしまう。のち梁は北魏と和睦したため今度は侯景と武帝の関係が悪化した。


そして、側近の進言もあり侯景は謀叛を起こしわずか千人程度の兵で梁の首都・建康(三国時代孫呉の都だった建業であり晋の時代に改名)を目指した。


元々は自暴自棄で起こした反乱だったが、武帝による過度な仏教保護政策で民衆の心が離反しており流民たちが加わった。また各地の王たちも互いに牽制して動かなかったりあまつさえ武帝に敵対する一族までも加わり、10万の軍勢に膨れ上がり建康を包囲した。


侯景は和議を反故にして建康を陥とし武帝を捕え、幽閉された武帝はまもなく餓死してしまう。建康は侯景軍により壮絶な略奪を受け、灰燼に帰した。ちなみに城内は飢餓地獄に陥っておりまともに戦える兵はわずか4,000人程度だったという。

宇宙大将軍自称後編集

こうして梁の実権を握った侯景は、簡文帝を擁立して相国そして都督六合諸軍事に就任し、宇宙大将軍を自称。のち簡文帝を弑殺し予章王の蕭棟を擁立し「漢王」を自称し、さらに帝位の禅譲を受けて漢の皇帝になった。


しかし、経世の才は無かった上にのっけから暴政を繰り広げたために国はさらに混乱。一方、荊州の江陵で即位した梁の元帝は討伐軍を王僧弁に預けて出撃させ陳霸先の義勇兵も加わった。

漢軍は梁軍と戦い連戦連敗。侯景は逃亡をはかるがその途上で味方に殺されてしまい、漢はわずか5ヶ月で滅亡した。


関連タグ編集

魏晋南北朝

野田昌宏:日本のSFファンの間では「宇宙大元帥」と呼ばれているが、もちろん侯景とは何の関係もないし、ましてや侯景の上位互換などではない。

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