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高長恭

こうちょうきょう

中国の北斉の人物。皇族。蘭陵王(らんりょうおう)、または羅陵王(らりょうおう)の王号で知られる。または王号に題した雅楽のモデルとなった人物。
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生涯

541年、高澄の四男として生まれる。ちなみに長恭は字(あざな)であり、名は孝瓘またはとも伝わっている。
559年、蘭陵王に封ぜられた。長恭は勇猛果敢な武将であり、洛陽の救援に向かう為、たった500騎で北周軍に対して突入して金墉城まで突破してしまった事もある。
その後、各地を転戦していきその武功から出世していった。

しかし、そのような誉れ高き武功と勇猛さが後世において暗愚として知られている後主の目に留まるようになってきた。

その為、粛正を恐れた長恭は、わざと評判を落とす振る舞いや戦功をあげないように病の治療をしなかったりと色々と方策を行ったが、573年、後主より毒薬を賜り自殺することとなってしまった。
この時、王妃から涙ながらの説得もされたが、長恭は甘んじて結果を受け入れたと云われている。

戦力の要でもあった長恭亡き後の北斉の衰退は著しく、後主の暗愚さもあり北周によって瞬く間に侵略され、滅亡した。後主も後に囚われの身となった後、一族共々殺害された。

人物評

果物を贈られた時は部下に分け与えたり、皇帝から20人の美女を賜ったとき、1人だけ選んで辞退した
など謙虚で篤実な性格な人物であると後世で伝わっている。
また、「音容兼美」と史書に明記されるなど所謂"イケメン"としても伝わっており、前述の悲劇的な死と相まって人気の高い人物でもある。

そんな美男子に関するエピソードがある。ある時、城の救出に向かった際に、敵の包囲が厳しかった事や兜(正確に云えば仮面もしていた)をしていたこともあり、守備隊は味方であるかを迷っていた。そこで長恭が兜を脱いだ事で信用されるというエピソードがある。
これが後世にいくにつれて、「長恭の美貌が部下たちの士気を下げることを恐れ、常に仮面をつけて戦っていた」という風に、変化して今日では伝わるようになった。

これぐらい優れた器量の人物なのだが、特に日本においてはマイナー止まり人物である。雅楽に覚えのある人なら『蘭陵王』または『羅陵王』と聞けばわかるかもしれないといった程度である。

関連タグ

北斉 武将 イケメン
蘭陵王(羅陵王)…雅楽の演目の一つ。高長恭がモデル。

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